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日本大好きNo54 條ウル神古墳の不思議 [日本大好き]

<邪馬台国大研究> http://inoues.net/ruins/urugami.html を見ていただきましたか? このホームページは、條ウル神古墳に限らず、何度見たことでしょう。 http://inoues.net/ruins/welcome2.html ここをクリックしますと、このホームページの制作者が行かれた遺跡が全部みることができます。どうして、これほど、全国に行くことができたのか、感心するばかりです。  條ウル神古墳の見学は、この方が書いておられるように、ラッキーだったと思います。私も行きましたが、どれほど待ったでしょうか。 そして、いざ、石室の前まで行きましたが、前の方の肩越しに眺めて、一番前に行ってシャッターを切ったら、もうお仕舞いです。自分の目で、ろくに見ないで次の方に譲りました。私が撮りました写真は、他人に見せられるようなものではありませんでした。  この方は、説明会が始まる前に事務所に行ったと書いておられます。そして、特別に、見学させて貰われたのですが、これだけの写真を公開しておられる方はおられません。これを見ましたら、実際に見学したよりも、條ウル神古墳のことが分かるのですから、御所市の教育委員会は、ホームページで写真を公開すべきです。  もう一つ、不思議なのは、この方は、新聞記事を掲載しておられます。新聞社は、自分たちが掲載した記事のいたるところに、転載禁止をうたっておられます。確かに、著作権はあると思うのですが、新聞記事を作るときに、新聞社は特別の権利をもっているのではないでしょうか? 一般国民よりも先に、しかもデーターをたっぷり受け取っておられます。そして、取材と称して、その発掘現場の責任者や有識者からコメントを得て新聞を作っています。歴史の記事に限っては、著作権を振り回すことは間違っています。  このホームページの制作者は新聞社の許可を得ておられるのでしょうか? 掲載された新聞記事を読まれましたか? 関西大の網干善教や奈良県立橿原考古学研究所の副所長のコメントが書かれており、今後の調査に期待するように書かれています。 では、その後、調査はされたのでしょうか? 古墳は確か、埋め戻されましたので、調査はされなかったと思いますが、研究はされたと思います。                                                                       では、被葬者はだれだったのでしょうか? 判らなかったとしても、いつ頃の古墳であるのかぐらいは、わかったのでしょうか? いろいろWEB上で探してみましたが、ありませんでした。 條ウル神古墳の條ウル神は、條が大字名で、ウル神は小字名です。せめて、ウル神という小字が全国にいっぱいあるのか、無いのか、ウル神とはどういう意味なのか。古墳とウル神とは関係があるのか、ないのか。あれだけの大きな古墳を作ったのが、巨勢氏とすれば、巨勢氏は、御所市でなにをして巨万の富を築いたのでしょう。巨万の富を築いたのではなく、人民が故人の偉大さに感謝して造ったのであれば、どれほど、偉大であったのか、想像でもいいですから、報告しなければなりません。 このようなことは、すでに、学者が研究され、学会で発表されたのであれば、その発表が正しいとかの判断は別にして、御所市は、全国の人に報告する義務があるのではないでしょうか? その後、なんの報告もないのが、不思議です。  この古墳に限りません。 新しい発見がありますと、現地説明会と称して、公開されますが、殆ど、一見公開しているようですが、私から見ると、まだまだ公開されていません。             本日は 私のグチです。


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