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歴史番外編No45 河内飛鳥を巡る--壷井八幡宮 [歴史番外編]

祭神=応神天皇。平安中期・寛仁四年(1020)に、源頼信が河内国司に任ぜられて、この壷井の地に邸宅を構え、以後代々河内源氏の本拠地となった。頼信の死後、その子頼義・孫義家が前九年の役(1051~1063)に出陣に際し、石清水八幡宮の神霊を奉じて陸奥に向かい、平定できたので、その帰途、康平六年(1063)に鎌倉に鶴岡八幡宮を創祀し、翌年壷井に帰って本邸東側の台地の上にも八幡宮を勧請した。それが創祀と伝えている。
 正面の石段下に「清水壷井」とあり、地名の由来となったという。
西隣の壷井神社(壷井権現)は、源頼信・義家・義光を祭神とし、天仁二年(1109)に義家の五男義時が氏神として創建したという。その時の記念に植樹したのが境内東の樟の大木と伝える。
この社は源氏由縁ということで、平清盛に焼かれ、源頼朝が再興、南北朝の戦火で焼け、足利義満が再興、さらに織田信長に焼き打ちされ、徳川綱吉が元禄14年(1701)に叉々再興。現社殿はその時のものである。これは子孫の多田義直が綱吉に奏請して実現したという。

神奈備http://kamnavi.jp/en/kawati/tuboi8.htm に写真がいっぱいあります。
源氏略系図 http://www.kamakura-burabura.com/jinbutugenjiryakeizu.htm

源氏・平氏のことは、古代史ばかりに目が行っていた私には、驚きでした。源氏とくれば、多田源氏とか、鎌倉の源氏ぐらいで、なに一ツ知りませんでした。
祭神が、應神天皇、神功皇后、仲哀天皇と天皇であるだけに、屋根には鰹木がありましたが、数が少ないのではないかと思いました。
確か、鰹木の下に、葵の紋があったような気がしたのですが、徳川家が再建したからと言って、葵の紋を入れるものでしょうか?  左の千木と二本目の鰹木の間に。金色の丸いものが見えます。葵の紋のように見えましたので、写真に撮ったのですが、うまく写っていません。

この辺り一帯は、渡来人の勢力範囲と思っていましたが、平安中期・寛仁四年(1020)に、源頼信が河内国司に任ぜられていますから、天皇家の支配力が大きくなってきたのでしょうか?
これから勉強しなければならない時代です。


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壷井の子孫

私の名字は、河内と申します。、自分の先祖について、探求しているもので、代々の過去帳には、江戸の時代に、河内の国から現在家族が住み着いている山口県に移り住んだ。もともとの名前は、「壷井」という豪族の流れで、河内の国から来たので国の名前をとって名字を河内と改めたと書いてあります。河内家までは、さかのぼれたのですが、壷井家の系図となると、どのように先祖の系図を調べたらよいのか、長~い間、方法が見つからず、待っていた所、こちらのサイトで、河内の国の壷井八幡を見つけました。先祖は、源氏の流れだと聞いていますので、Vetlyさん、何か、先祖についての手ががりになる方法や、本があれば教えてほしいのですが。。。
現在私は、アメリカに移住して、アメリカ国籍になっていますが、7月4日ちょうどそちらが、サイトに出されて日に、偶然見つけることが出来、かなり興奮して、この八幡宮の歴史を読ませていただきました。もし、何でもよろしいので、アドバイスをしていただければ、非常に幸いです。よろしくお願いします。
by 壷井の子孫 (2007-07-20 12:26) 

vetty

河内さんへ
 河内は、読んで字の如くで、川の内側に位置するところに付けられた地名ですから、全国にいっぱいあります。そこに住んでいた人のうち、何人かが、「河内」の姓を名乗られたことになると思われます。仰る通り、大阪から山口に移り住んだことが言い伝えられているのであれば、それは確かではないでしょうか? 壷井八幡宮は、1064年に源義家(八幡太郎)が創祀したと伝えられます。お祖父さんの源頼信が、河内の国司として赴任した時は、河内の国分寺のある所(柏原市)より、壷井は、大分、南に位置します。ここは、奈良へ行く竹内街道のある所ですから、源頼信が赴任した時は、こちらの方が重要だったのでしょうか? その時には、すでに壷井という地名はあったと推察します。ここに関係する河内という姓名のかたを調べるとなりますと、自分で調べないとしょうがないと思います。まず、せめて、太子町に現在おられる河内さん。そして、山口県におられる河内さんを調べて、順にさかのぼるしか仕方がないように思います。 次に、壷井氏の探索になるでしょうか?
源頼信は、満仲と言われ、第56代清和天皇の五代目の孫になります。本拠地は、兵庫県川西市多田です。ここには、多田神社があります。この隣町に、猪名川町がありますが、ここには、多田銀山があります。多田銀山は、三田市、猪名川町、池田市、箕面市にまたがる広大な銀鉱山です。1000年前までは、歴史を遡れますが、ご自分で調べて楽しんでください。
by vetty (2007-07-23 10:02) 

壷井の子孫

丁寧なお返事ありがとうございます。どんな歴史の本を紐解けば、分るのか、いまだに謎なのですが、大体のアウトラインを教えていただき、大変感謝しています。最近私は、古代の歴史に大変興味を持ってきているので、ユダヤと日本人同祖関係の本を、何冊か読んでおりまして、神道についても、大変興味深く、思っている次第です。異国の地に住んでいるせいもあるのですが、自分のアイデンティティーを確認する為にも、自分の子孫にも、受け継いで行くためにも、日本の歴史を、正しく理解したいと切に、思います。天皇の歴史と、日本の歴史を、もっと日本人の方に、正しく理解していただき、世の世論に惑わされず、愛国心のある若者が増えてほしいです。
by 壷井の子孫 (2007-07-24 12:01) 

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