SSブログ

日本大好きNo117 日本語は隠岐島で作られたか [日本大好き]

日本大好き No107 隠岐島へやってきた人達において、‹イザナギ・イザナミ、そして、アマテラス・スサノオ、ツキヨミが、隠岐島へやってきました。›と書きました。
 このうちのツキヨミ(月読命)だけを、詳しく書きました。
詳しくといいましても、その証拠になるものが、どこかにあるわけではありません。日本に残っている地名の中で、山をセンと読むような山が、ヒルゼン高原を中心に固まってあるとか、仏教がツキヨミと一緒に伝えられたのではないかと推察してきました。
イザナギ・イザナミ、そして、アマテラス・スサノオも外国からやってきたのではないかと想像しています。この人たちもツキヨミと同じように、確たる証拠はありませんが、そのように考えないと、日本史は謎ばかりになります。逆に、外国からきたとしますと、謎はなくなってしまいます。
 特にその頃の日本を創造した三貴人のことは、古事記に記されていました。
【古事記の新しい読み方】の中の「三貴人の分治」
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page248.html に書いています。

そして、イザナギ・イザナミはどこから来たかは、【新しい日本の歴史 No63】http://homepage1.nifty.com/o-mino/page663.html に書いています。No74あたりに書きましたが、ここに書いただけでは、なかなか浮かびあがってきません、その後、No213「高尾山とイザナギ」http://homepage1.nifty.com/o-mino/page865.html
において書きましたように、多くの事柄から、イザナギ・イザナミ、そして、アマテラス・スサノオ、ツキヨミが、日本にやってきたと考えるしか、日本史は理解できないと思います。
 今度は、この人たちが、日本でどのように活躍したかは、日本書紀と古事記に書かれているぐらいです。ところが、彼らを神として祭ったと思われる神社が、全国に残っています。
 すべて、調べたわけではありませんが、スサノオの多さは、抜群です。この人たちを先祖とする人たちが、その神社を2000年を経ても、祭り、守り、伝えていると思われます。こうした神社を日本地図に、印をつけて行きますと、印のつかないところは、北海道と沖縄ということになります。
 ということは、現在私たちが使っている日本語は、隠岐島で、一緒に生活している間に、共通語として、自然に生まれたのではないでしょうか?
それゆえに、日本語は、南方り言語もあり、北方の言語の使い方が入り混じっているのではないでしょうか?
私は日本語を分析・研究したわけではありませんが、このようなことを仮定として、研究を進めますと、日本語の発生がつかめるのではないでしょうか/

No113で 隠岐島の地形とかいて、簡単に考察をしました。その結果、あまり住んでいなかったのではないかと想像しました。だけど、やっぱり、過ごしていたのではないかと考えないといけないことになります。
 その理由の一つとして、神社の数が多いことを提示しました。 それでは、どのようにして、仲良くしていたのかを次回に書いてみます。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。