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No327 夏見廃寺はどうして建てられたか 2 [日本大好き]

大来皇女が父と弟の菩提を弔うために建てたでいいのでしょう。
先日、現地に行った時に、随分高い所でしかも、傾斜地に建てられているのが気になりました。いくらでも広いところはあった筈なのにと思いました。見晴らしはいいのですが、高い所にあるお寺は気になります。
 お寺は、山奥と中ほどの高い所と平地とに分かれます。山奥は聖地、修行の場、平地は民衆とともに生活の場、高台は軍事的意味合いがあるのではと考えています。

 もう一つは、川との関係です。歴史の本を読んでいまして海のことは、書いておられますが、川の重要さを書いておられる方は少ないです。
古代には、川を中心に集落が発展し、交通も川が重要な役割をはたしていたと考えています。

夏見廃寺の前には名張川が流れています。この川を遡って行きますと、一志町美杉村の下太郎生、中太郎生、上太郎生の集落を見つけることができます。この地名の町へは、一度行ってこようと思っています。
発生した順序は、上流からだと考えています。ふつうは、下流から発展していくのですが、太郎生の集落は、広い美杉村からみると、端の方に位置しています。上太郎生の南に、1038mkの倶留尊山が気になります。この辺りで一番背が高いですから、その南にある御杖村からよく見え目印になります。国道368号の伊勢本街道が走っています。美杉村は
No301一志町と日置 においても書きましたが、日本史を解明するときの、重要なものの一つです。それは、日置氏の存在です。
又、猿田彦にも結び付くことだと思っています。

どうして、軍事と関係あったかは、次回にします。

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