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No816神武東征(265)  神武天皇(208)  大物主大神(36) 日吉津村(18) [日本大好き]

やっと、阿遲志貴高日子根神の登場です。
読みにくいでしょうが、又、原文と訳文を書きます。

原文
此時。阿遲志貴高日子根神【自阿下四字以音】到而。弔天若日子之喪時。自天降到天若日子之父。亦其妻。皆哭云。我子者不死有祁理【此二字以音。下效此】我君者不死坐祁理云。取懸手足而哭悲也。其過所以者。此二柱神之容姿甚能相似。故是以過也。
於是阿遲志貨高日子根神大怒日。我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人云而。拔所御佩之十掬劍。切伏其喪屋。以足蹶離遣。

訳文
此の時、阿遲志貴高日子根神(アジシキタカヒコネノカミ)は到りて、天若日子の喪(モ)を弔(トム)らった時、天より降り到った父とまたその妻は、皆哭きながら云いました。「我が子は死なないで有り祁理(ケリ)、我が君は死七位で坐まし祁理」といいながら、(阿遲志貴高日子根神の)手足に取り懸(カカ)って哭き悲しむ也。其の過(アヤマチ)の所以(ユエ)は、此の二柱神の容姿は甚だ相よく似ていた。是れ故に、以って過(アヤマチ)也。
是に於いて阿遲志貨高日子根神は大へん怒って日(イ)う、「我は愛する友故に、弔らいに來たのですよ。何で吾を穢(キタナ)い死人と比らべる」と言いながら、御佩(ハカ)せる所の十掬劍(トツカノツルギ)を拔いて其の喪屋(モヤ)を切り伏せ、足を以(モチ)て、蹶(ク)ゑ離ち遣(ヤ)りました。

このままでは、意味の分らない部分が、一杯有ります。
検討を加えます。

①阿遲志貴高日子根神は大国主の子供で、母の名は、多紀理姫。同じ母の兄弟に、高姫(天若日子の妻の下照比売)がいます。両方とも「高」がつきます。阿遲志貴は地名ではないでしょうか? どちらにしても、弔いにきたのですから、近くに住んでいたのでしょう。阿遲志貴高日子根神に、(根)がついています。これが判りません。

②我子者不死有祁理の部分の「祁理」は「けり」と読むように指定してあります。漢字に書くことが出来ない言葉でした。もともとあった日本語だと思われます。どうもどのような意味なのか判りません。辞書を引くと、いろいろの使われ方が掲載されていますが、どの例にも当てはまらないようです。死んでいないと言いながら、「有」をつけて、強調して、「けり」でもう一度念を押した感じがします。断定を表す言葉のようですが、辞書にはありません。

③我者愛友故弔來耳---このフレーズに何故 「耳」がついているのでしょう。要りませんが・・・。

④拔所御佩之十掬劍---御佩は旗がなびいている様子でしょうか。それにしても、剣はなびきません。なびくようなものが剣についている。それでは、邪魔になって使い物になりません。???。

⑤取懸手足而哭悲也-愛おしくて手足を触って確かめる様子は、表現が細やかです。
⑥以足蹶離遣---足という漢字がありますから、蹴散らかすという意味でしょう。

今回の部分は、外国とは関係有りませんから、太安万侶の創作なのでしょう。太安万侶は、例によって、天孫族の関係者を全部書き残すことを、古事記を書く時の目的にしたと思います。
 日本書紀の編集者は、困ったと思います。高天原が、空の上にあると思っていますから、そこから、阿遲志貴高日子根神が弔いにやって来て、天若日子と間違えられて、腹を立てて、喪屋たたき壊し蹴ちらかしたと、古事記は書いてあります。

では、日本書紀では、どのように書いてあるか、確かめて於いてください。

次回は、この続きを古事記で眺めます。

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