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歴史各論  勾玉(4) 天の河原で誓約 [日本大好き]

高天原に攻め入ったスサノオは、アマテラスから、高天原を乗っ取りに来たのだろうと詰問されます。スサノオは、お別れに来ただけですと返答します。それは、信用できないとアマテラスに言われて、スサノオきは、誓約をしようと提案します。
 
 この誓約のことを書いた内容が、難解なものとなっています。
此の時に、お互いの持ち物を口に含み、かみ砕いて、噴き出しますと、神が生れるお話が書いてあります。
 スサノは、アマテラスが髪に飾っていた八尺勾玉の連珠を取って、天の真名井で洗い浄めて、噛みに噛んで、吹出す息吹の霧に生じた神の名は、
左の珠から、  正勝吾勝勝速日天之忍穂耳(マサカツアカツカチハヤビアメノオシホミミノ)命。
右の珠から、  天之菩卑能(アメノホヒ)命。
頭上の珠から 、天津日子根(アマツヒコネ)命。
左手の連珠から、活津日子根(イクツヒコネ)命。
右手の連珠から、熊野久須毘(クマノクスビ)命。
 でした。
 この文章の流れのどこが誓約なのかは、理解できませんが、太安万侶は、5人の名前は書き残したかったことになります。
 八尺勾玉の連珠から生まれた男5人は、アマテラスが持っていた八尺勾玉から生まれたのですから、八尺勾玉は、後継者が生れる時には、八尺勾玉の連珠は、重要なものであることを記録に残したことになります。

一方、アマテラスは、スサノオが持っている十拳剣をかみ砕き噴き出しますと、三柱の女神が生れました。
 アマテラスはスサノオに「五柱の男神の元は、私の珠から生じたので、我が子となる。三柱の女神の元は、お前の剣によって生じたから、お前の子となる」と言って、互いに子を分けた。その神の名前は
多紀理毘売命で、津宮(おきつみや。沖の島)に居ます。
市寸嶋比売命で、津宮(大島)に居ます。
田岐都比売命で、津宮(へつみや=玄海町田島)に居ます。
  そして、太安万侶は、次の様にも書いています。
この三柱は、胸形君(ムナカタノキミ)等が伊都久(いつく)住吉の大神なり。

 このように、天皇家と血縁関係にある人は、残らず、古事記に書き残すこととなります。
それだけならば天皇家の歴史の様なものですから、少々、理解困難でもいいのですが、この後ろに、太安万侶は字を小さくして、次のように書いています。
天菩比命の子、建比良鳥命、こは出雲国国造、上菟上国国造、下菟上国国造、伊自牟国造、津島縣直、近江国国造等が祖なり。
次に天津日子根命は、凡川内国造、額田部湯坐連、倭田中直、山代国造、馬来田国造、道尻岐閇国造、周芳国造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稲寸、三枝部造等が祖なり。

誰が、どこの国造であるか判りません。
天菩比命の子、建比良鳥命、こは出雲国国造、上菟上国国造、下菟上国国造、伊自牟国造、津島縣直、近江国国造等が祖なり。
 解説を加えて、書き直しますと、次のようになります。

天之菩卑能(アメノホヒ)命は、
この神の子の建比良鳥(タケヒラトリ)命は、出雲国造、无邪志(ムサシ=武蔵)国造、
上菟上(カミツウナカミ=上総国海上郡)国造、下菟上(下総国海上郡)国造、伊自牟(イジム=上総国いじみ郡)国造、津島県直(ツシマノアガタノアタヘ)、遠江国造等の祖先神である。

太安万侶は、ここに書いた国造は、中国人ですから、注意しなさいと警告したことになります。
 他の研究者に拠りますと、半分の国造は、中国人であったと書いてあったように記憶します。
 表現を変えますと、700年頃の日本は、国造の半分くらいは、中国人であったと書いてあったと記憶します。

古事記にかいてある誓約の意味が、日本書紀の編集者にとっては、よく理解できなかったようで、他の一書を3つ書き加えました。一書(第二) に於いては、勾玉は、高天原に来る途中に、羽明王という人に、瑞八坂瓊の勾玉を貰ったと書いています。この勾玉をアマテラスに渡したいと思っただけだと言い訳に、勾玉を用意したことになります。

 日本書紀の他の部分もどのようにかいてあるか確認してください。

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