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歴史各論  勾玉(9)  須玖岡本遺跡 [日本大好き]

前回見て頂きましたように、福岡県春日井市のある須玖岡本遺跡から、勾玉が出土しました。
 この遺跡では、勾玉だけではなく、草葉文鏡と細形銅剣の3つが出土しましたので、復元品を作り、三種の神器としておられるようです。
 写真がありますから、http://www.city.kasuga.fukuoka.jp/nakoku/nakokuouto/photo23.html でご覧ください。
  
市内の遺跡から出土した前漢鏡の復元品と銅剣、ガラス勾玉です。  三種の神器として、現代でも神聖視される鏡・剣・玉は、弥生時代にはすでに貴人の宝器として特別視される傾向が見られ、須玖岡本遺跡の奴国王墓では、三種がそろって出土しています。  これらは北部九州の王や首長層たちの最高の宝物として、彼らの亡きがらとともに墓所に納められました。
 この文章は、資料館の方が、書かれたものですが、私の見方と随分違うことになります。
 須玖岡本遺跡の資料は、
http://asilka.blog61.fc2.com/blog-entry-712.html に納めています。

出土した銅鏡     30面以内と記されています。そのうち、種類が判っているものは、
草葉文鏡     3面  (前2世紀第3四半期)
 星雲文鏡     6面  (前1世紀第2四半期)
 重圏銘帯鏡     6面  (前1世紀第2四半期)
 連弧文銘帯鏡   6面  (前1世紀第2四半期)

全部、中国の漢の時代の鏡です。このうちのどの鏡が、三種の神器の鏡だったのでしょうか。
三種の神器のうちの、刀に相当するものとしては、
銅矛      5 (細形 4、中細形 1)
中細銅戈   1
銅剣      2以上 (多樋式 1、中細形 1)

 が、書いてあります。銅製の刀は、実用だったのでしょうか。 役に立たない刀は、三種の神器にはならないのではないでしょうか。

勾玉は、あの特異な形に意味があるのだと考えています。
 ここに書いてある資料には、似たものとして、岡村秀典氏は
ガラス璧片  2
ガラス勾玉  1
ガラス管玉 12

を書いておられますが、ガラス璧片2個、ガラス管玉 12個です。中国人は、〔玉〕が好きのようです。しかし、ここでは、ガラス製ですから、今で云えば、安物ですが、当時ですと、〔玉〕と同じ価値があったのかも知れません。
 岡村秀典氏は、勾玉が特別のものであるという考えはなかった証拠ではないかと思います。

春日市の資料館の方は、それを通り越して、三種の神器にしておられます。

須玖岡本遺跡は、典型的な中国人の遺跡だと思います。ただの中国人ではなく、漢の皇帝から、派遣された軍人だと思います。
 軍人にしては、武器が少ないですが、魏志倭人伝に書かれている倭人の持っている武器は知れていますから、紀元前ですと、思い通りに、この辺りを支配していたのでしょう。
 しかし、神武天皇をはじめとして、次々と攻撃を受けることになったと思いまする

須玖岡本遺跡のことは、
No533天孫降臨(106) 九州の古墳
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2009-03-06
 に書いていますが、この記事の前後には
No534天孫降臨(107) 九州の古墳(2)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2009-03-08 この辺り、一帯に、九州の遺跡のことを書いています。
調べれば、調べるほどに、中国人の遺跡ですし、残念ながら、〔奴国〕は九州にしますと、いろいろの面で都合の悪いことばかりになります。

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