歴史各論 三角縁神獣鏡(115)魏志倭人伝(66) 邪馬壹国は、何所に(62)邪馬壹国(21) [三角縁神獣鏡]
3回前に、 邪馬壹国は、7万戸あった話を書きました。4代の人が一緒に住んでいたと考えていますが、少なくて、5人家族としても、35万人です。10人家族ですと、70万人です。
魏志倭人伝に書いてあることは、正しいことばかりではないのに、なぜか、日本人は、100%正しいと受け入れる人ばかりです。素人の人であれば、それでもいいですが、プロの方で、 邪馬壹国は、7万戸あったことを話題にしておられる方はありません。
〔4代の人が一緒に住んでいたと考え〕と書きましたが、どうして、この様に書いたかと云いますと、単なる思い付きだけです。
しかし、4代の人が一緒に住んでいるだけで、漢字は無くても、農作業の行事は、何年でも、受けつぐことが出来るのではと考えています。そう思うようになった話を書いて見ます。
ハニ族の人たちのことを書き出して、間もないときでした。放送局は忘れましたが、北限に住むニホンザルの生態を放映していました。偶々スイッチを入れましたら、雪の降る木の枝に座っているニホンザルが映っていました。居眠りしていました。寒いのに、どこか避難するころは無いのだろうかと思いながら、最後まで見ることになりました。
雪を掘っている場面がありました。雪の下から、食べるものを見付けました。
エサが無くなるとどこかへ移動しました。高い木の上に登りますと、枯れたような木の実でしょうか。ツルについていた実でしょうか。美味しくも無いと思うのですが、モリモリと食べていました。後からついて来た猿たちも同じ様にして食べていました。
その内に、判って来たのですが、どうやら、リーダーのようです。まだ、食べきらないのに、その場を去ります。全部食べないで行く様です。次は、海岸に出たと思います。北限ですから、青森県の一番寒い所だと思います。
海に足を付けながら、リーダーは、岩を裏返しました。そこには、貝が付いていました。すかさず、遅れて到着した若い猿たちも、岩を裏返しました。
移動する間は、勿論、雪の中を歩いていました。
全部食べつくさないで次の所へ移動と思いましたが、次々と場所を変えるところを見ると、雪中移動となりますと、危険が伴います。たらふく食べてから、次の所へ移動すればいい様なものです。
三つの食べ物の例を挙げましたが、全部異なるとなりますと、リーダーは、自分が生きている間に、少なくても、行けば必ず、残っている場所を、群れ全員に教えるために移動していると考えた方が良いと思いました。寒さをしのぐのに、わざわざ、枝の上に居る必然はありません。風を避けて、雪の少ない所を選べばいいのに、親らしい猿に、子ザルでしょうか、寒さをしのぐようにしがみついていました。
つい先日の事ですのに、どの様な順次で放映されたのか、精しいことは覚えていません。
この北限に生きていくためには、普通の生活では、少し、厳しい冬に当たりますと、種族全滅です。
この北限の地に住む猿たちは、どうして、わざわざ住むことになったのか、判りませんが、私が考えた推理では、親子4代がいますと、長老は、あらゆるトラブルに対応する能力を備えているのではないでしょうか。
リーダーが、まだ、食べている猿をほうっておいて、次の所に移動する様は、感動的なものがありました。
もう少し食べてからと、いつまでも、食べている猿は死ぬことになると思います。
どうして、猿はこのようなことを知っていたのでしょう。
ハニ族の人たちは、言葉は喋ることが出来ます。NHKで放映された【天空の棚田に生きる】を見て、私の耳に残っているのは、〔毎年、同じことをただ、するだけ〕との住民の発言です。
どのようなことが、起ろうが、〔毎年、同じことをただ、するだけ〕しか知らないのだという言葉にも聞こえます。
自分は、ただ、ひたすら、米をつくるだけです。村全体が仲良くしようとなど、思わないのでしょう。それをしなかったら、村全体がなりゆかないと思います。
猿の方は、何年経っても、自分でお米を作ることはしませんでしたが、人間は、米を作り、火を使うことを覚えました。
ハニ族の人たちは、お米を蒸していました。わたし達、日本人は、蒸しもしますが、炊くことを覚えました。いつ頃の事でしょうか。
このように考えますと、今後、遺跡から蒸し器が出土するか、どうかに注意をしますと、、どの様な人が住んでいたか推理することが出来ます。
本当は、NHKに、質問状を送付したのですが、一言、老人の方は居られないとか、子供は多かったと返事が頂ければいいのですが、頂けないので、いろいろ推理することになります。
しかし、返事がなければ無いで、人間いろいろの考えることは可能です。
2000年前のことを推理しようとしますと、無理がありますので、現代の国のことから推理しようかと思っています。
対象は、北朝鮮です。
魏志倭人伝に書いてあることは、正しいことばかりではないのに、なぜか、日本人は、100%正しいと受け入れる人ばかりです。素人の人であれば、それでもいいですが、プロの方で、 邪馬壹国は、7万戸あったことを話題にしておられる方はありません。
〔4代の人が一緒に住んでいたと考え〕と書きましたが、どうして、この様に書いたかと云いますと、単なる思い付きだけです。
しかし、4代の人が一緒に住んでいるだけで、漢字は無くても、農作業の行事は、何年でも、受けつぐことが出来るのではと考えています。そう思うようになった話を書いて見ます。
ハニ族の人たちのことを書き出して、間もないときでした。放送局は忘れましたが、北限に住むニホンザルの生態を放映していました。偶々スイッチを入れましたら、雪の降る木の枝に座っているニホンザルが映っていました。居眠りしていました。寒いのに、どこか避難するころは無いのだろうかと思いながら、最後まで見ることになりました。
雪を掘っている場面がありました。雪の下から、食べるものを見付けました。
エサが無くなるとどこかへ移動しました。高い木の上に登りますと、枯れたような木の実でしょうか。ツルについていた実でしょうか。美味しくも無いと思うのですが、モリモリと食べていました。後からついて来た猿たちも同じ様にして食べていました。
その内に、判って来たのですが、どうやら、リーダーのようです。まだ、食べきらないのに、その場を去ります。全部食べないで行く様です。次は、海岸に出たと思います。北限ですから、青森県の一番寒い所だと思います。
海に足を付けながら、リーダーは、岩を裏返しました。そこには、貝が付いていました。すかさず、遅れて到着した若い猿たちも、岩を裏返しました。
移動する間は、勿論、雪の中を歩いていました。
全部食べつくさないで次の所へ移動と思いましたが、次々と場所を変えるところを見ると、雪中移動となりますと、危険が伴います。たらふく食べてから、次の所へ移動すればいい様なものです。
三つの食べ物の例を挙げましたが、全部異なるとなりますと、リーダーは、自分が生きている間に、少なくても、行けば必ず、残っている場所を、群れ全員に教えるために移動していると考えた方が良いと思いました。寒さをしのぐのに、わざわざ、枝の上に居る必然はありません。風を避けて、雪の少ない所を選べばいいのに、親らしい猿に、子ザルでしょうか、寒さをしのぐようにしがみついていました。
つい先日の事ですのに、どの様な順次で放映されたのか、精しいことは覚えていません。
この北限に生きていくためには、普通の生活では、少し、厳しい冬に当たりますと、種族全滅です。
この北限の地に住む猿たちは、どうして、わざわざ住むことになったのか、判りませんが、私が考えた推理では、親子4代がいますと、長老は、あらゆるトラブルに対応する能力を備えているのではないでしょうか。
リーダーが、まだ、食べている猿をほうっておいて、次の所に移動する様は、感動的なものがありました。
もう少し食べてからと、いつまでも、食べている猿は死ぬことになると思います。
どうして、猿はこのようなことを知っていたのでしょう。
ハニ族の人たちは、言葉は喋ることが出来ます。NHKで放映された【天空の棚田に生きる】を見て、私の耳に残っているのは、〔毎年、同じことをただ、するだけ〕との住民の発言です。
どのようなことが、起ろうが、〔毎年、同じことをただ、するだけ〕しか知らないのだという言葉にも聞こえます。
自分は、ただ、ひたすら、米をつくるだけです。村全体が仲良くしようとなど、思わないのでしょう。それをしなかったら、村全体がなりゆかないと思います。
猿の方は、何年経っても、自分でお米を作ることはしませんでしたが、人間は、米を作り、火を使うことを覚えました。
ハニ族の人たちは、お米を蒸していました。わたし達、日本人は、蒸しもしますが、炊くことを覚えました。いつ頃の事でしょうか。
このように考えますと、今後、遺跡から蒸し器が出土するか、どうかに注意をしますと、、どの様な人が住んでいたか推理することが出来ます。
本当は、NHKに、質問状を送付したのですが、一言、老人の方は居られないとか、子供は多かったと返事が頂ければいいのですが、頂けないので、いろいろ推理することになります。
しかし、返事がなければ無いで、人間いろいろの考えることは可能です。
2000年前のことを推理しようとしますと、無理がありますので、現代の国のことから推理しようかと思っています。
対象は、北朝鮮です。
2012-05-24 03:31
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