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歴史各論 三角縁神獣鏡(114)魏志倭人伝(65) 邪馬壹国は、何所に(61)邪馬壹国(20) [三角縁神獣鏡]

前回には、棚田を潤す水はどの様に確保したかを書いて見ました。

 これは、検証しませんと分りませんが、20000枚の棚田を満たす水は、山に降った雨と、麓から噴き上がる上昇気流が棚田と山全体を包む水分で成り立つかどうかです。

 たぶん足りないと思います。それは、厳しい水の管理によって、辛うじてバランスを保っているのではないかと推理しています。
 1300年以降の歴史はある程度判っているということは、この頃に文字が使われる様になったと考えます。
 それ以前は、4代の家族が一緒に住むことによって、農作業の仕方を伝承していたのではないかと考えています。

 初代の人が、20歳の時に、子供を生むとしますと、4世代がいっしょに住むとなりますと、一番年配は、80歳になります。放映されていた家族は、奥さんが、14歳の時に嫁いできたと報道されていました。その主人は、59歳です。その上に年配の人がいたかどうか分りません。現在は、3世代で生活を営んでいるのかも知れません。

 全て推察ばかりのお話です。少し、学問的なことも書いて見ようと思います。
NHKで放映された【天空の棚田に生きる】から、古代のハニ族の寿命を探ってみようと思いました。
 しかし、余りにも年代がかけ離れています。

 紀元元年に、ハニ族の人が、此の地にやって来て、漢字は無い時代から、、漢字を使うようになるまでの事は、確かなことは分りません。その後、1300年間、どうして、棚田を築きながら生活できたかです。
 残念ながら、証明するすべはありません。

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