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歴史各論 西の高天原と東の高天原 [三角縁神獣鏡]

魏志倭人伝の謎解き Ⅲ
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/06/post-d834.html
 を読んで頂けましたか。

 終わりの部分に、
ここからは私の独り言ですと書いて、次のような文章が有ります。 
 魏志倭人伝は、後漢が滅んだ後に魏が日本列島の征服を企てていた証拠の情報記事であり、単に邪馬壹国を目的地とした旅行記事ではないと考えます。 日本列島にはまず苗族が気候寒冷化によりBC1000年ごろに移動してきました(初期弥生人)。 続いて晋、前漢の中国統一により追われた人々が、BC200年頃に水稲、養蚕技術を携えてやって来ました(中期弥生人)。

 わたしは、苗族がやって来たのは、紀元前200年頃と考えていましたが、田村邦夫氏は、
BC1000年ごろに移動してきたと書いておられます。なにか、根拠がおありと思いますが、なくても良いのです。紀元前の事など、いくら考古学が進歩しようが、科学が発達しようが、判らないと思います。

 一つの例を挙げますと、尾崎前山遺跡が有ります。あまり耳慣れない遺跡です。
【茨城 尾崎前山遺跡】 http://www011.upp.so-net.ne.jp/dhistory/tiba_005.htm
 
このブログには、次の文章が有ります。
「この遺跡は縄文・弥生・平安の複合遺跡で、台地から製鉄民の居住跡・鍛冶が確認されており、創業は8初めから9世紀といわれ、「堅型炉」で自然風を利用していたものと考えられている」
 遺跡全体は、縄文・弥生・平安と長い期間、使われていた集落です。しかし、ここにある製鉄は、8初めから9世紀の遺跡であると書いておられます。この方は、鉄の成分にご興味がありました。そこで、尾崎前山遺跡の事は、次のように書かれました。

①縄文・弥生・平安と長い期間
②創業は8初めから9世紀

しかし、その根拠は書いておられません。
 この二つのことに疑問を持たれた、田村誠一氏は自分の著書の中で、記事を書いておられますので、私が、又、其れを記事にしました。

日本史 但馬の歴史(111) 茶すり山古墳(111) 古墳時代と鉄(10)尾崎前山遺跡(2)

http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/blog-entry-1804.html?sp

歴史各論 見付かった国内最古 戸籍関連の木簡 [三角縁神獣鏡]

これに似たものは、正倉院に残っているそうです。インターネットで探してみましたが、見付かりませんでした。
 この日、朝方の3時に起きて、コンピューターにスイッチを入れましたら、「木簡」の字が目に入りましたので、検索しましたら、わんさとヒットしました。

①日本最古の「住民票」か=大宝律令前、7世紀末の木簡-人の転出入を把握・福岡
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012061300027 時事通信

②最古の戸籍記す木簡出土 太宰府・国分松本遺跡 西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/307363

③国内最古 戸籍関連の木簡見つかる NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120613/t10015790451000.html
 がヒットしました。
 その外に、一杯表示されましたが、上の三社の記事の掲載時間が、抜群に早かったです。

 大きな新聞社以外は、日頃、歴史のことには、余り熱心でないと勝手に思い込んでいましたが、時事通信、西日本新聞、NHKは素晴らしいなと思いました。時間を掛ければ、どのメディアでも書くことは出来ます。
 この三社だけではなく、時間の速いもの順に、Google は表示させていました。Googleは、これ又、すごいなと思いました。
 
表示されている記事のうち、10社ほど、読みました。
 
そのうち、【国内最古 戸籍関連の木簡見つかる NHK】 が、私の興味あることを書いていましたので、前回取上げました。

現在の福岡県糸島市周辺に住んでいた家族少なくとも16人の名前が、身分や続柄など詳細な情報とともに書かれていることが分かりました。」

 普通の方ですと、家族が、16人であろうが、20人であろうが、どうでもいいのですが、
680年頃は、家族が多かった証拠がみつかったことがうれしかったです。

このようなものが、645年以降に見つかってくれれば、もっと嬉しいのです。

私の推理では、645年には、ほぼ、日本では、中国人に、制覇されたのではないかと考えています。だから、「大化」という元号を付けたのだと思います。

 壬申の乱のことは、随分書きました。
壬申の乱は 日唐戦争(1) 日本の歴史の不思議 から始まって、壬申の乱(2) 壬申の乱 勃発 ・・・と延々と続きます。
http://skeikas.iza.ne.jp/blog/entry/822215/

記事と云うものは、長ければ良いうものではありません。
 次の記事、簡潔で読みやすいですが、複雑な歴史を語るには、田村氏も、本を一冊書くことになりました。
 その中の一部です。
唐の傀儡政権だった近江朝廷(1)
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/10/1-3579.html
 は、田村誠一氏の記事です。(3) までありますから、読んでください。

③国内最古 戸籍関連の木簡見つかる NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120613/t10015790451000.html

ここには、坂上康俊教授が、「戸籍に関わる史料としては国内では最も古いものだ。当時の朝廷がどのようにして人々を掌握し、中央集権国家になったかという過程を知るうえで手がかりとなる重要な史料だ」と述べておられますが、仮に兵役を課していたとしても、1万人も、2万人も兵隊を抱えていたとは思えません。

中国人が、日本を制覇して、治めていたのは、福岡県ではないかと推理しています。

私の考えが、間違っているにして、「木簡」は、新しい発想を生み出してくれます。
 次回は、その新しい発想のことを書きます。

歴史各論 三角縁神獣鏡(126)魏志倭人伝(77) 邪馬壹国は、何所に(73)邪馬壹国(32) [三角縁神獣鏡]

前回、 国内最古 戸籍関連の木簡の新聞記事の事は、別に、「楽しい人生」に書くつもりでいます。
 と書きましたが、三角縁神獣鏡の事から、250年前後の時代を探ることは、一時ストップにしようと思います。タイトルを見て頂きますと、気が付かれると思いますが、魏志倭人伝に書かれてある邪馬壹国は、九州と奈良にあるとされています。
 そうではなくて、岡山県の西大寺あたりにあったという事を知って頂くために、私のブログは、益々、混乱をきたしています。

 ところが、先日、次のニュースが有りました。
国内最古 戸籍関連の木簡見つかる 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120613/t10015790451000.html

読売新聞では、一面の中央にトップ記事で、木簡のニュースが報じられました。それだけ、重要な発見だったのですが、読売新聞では、『日本古代史を科学する』の本を売るために、『邪馬台国に科学の目』の記事を、ページの半分も使って、掲載されました。
 
 こんなことが許されるのかと思って、碌々、考えもしないで、歴史各論 三角縁神獣鏡(124)魏志倭人伝(75) 邪馬壹国は、何所に(71)邪馬壹国(30)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2012-06-14
に、新聞のコピーを掲載しましたが、コピーは、どうしても、上手く掲載できなくて、小さくて読むことが出来ませんでした。

昨日、『楽しい人生』に、魏志倭人伝の謎解き Ⅲ
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/06/post-d834.html
を掲載しました。
 ここに、末盧国から始まって、邪馬壹国までの各国の位置を地図上に図示してあります。関心ございましたら、本文も読んでください。もし、興味をお持ちでしたら、その前の記事もお読みください。
 田村誠一氏と私がこれでもかと書いて来た謎解きの事が、簡単に、まとめてあります。

魏志倭人伝の謎解き   執筆 田村邦夫
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/03/post-f124.html
魏志倭人伝の謎解き Ⅱ
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/03/post-0f72.html

次回は、歴史各論 三角縁神獣鏡(126)を中断しまして、
 見付かった国内最古 戸籍関連の木簡 です。

歴史各論 三角縁神獣鏡(125)魏志倭人伝(76) 邪馬壹国は、何所に(72)邪馬壹国(31) [三角縁神獣鏡]

初代の神武天皇から崇神天皇までの天皇は、長生きし過ぎのため、存在すら信じて貰えず、日本史から、除外されていますので、長いこと掛って、100才前後の人は、いっぱい居られたことを確認し、其れより、以前の瓊々杵命や大山祇命なども実在したことを確かめようと思っています。
 その前に、新しい発見の報道がありましたので、書いておきます。

国内最古 戸籍関連の木簡見つかる 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120613/t10015790451000.html

短いですから、全文を載せておきます。

福岡県太宰府市の遺跡から、国内で最も古い戸籍に関わる公文書とみられる7世紀末の木簡が見つかり、当時の戸籍制度や中央集権国家の成り立ちを知る手がかりになるとして注目されています。
見つかったのは、長さ30センチ余りの木簡で、福岡県太宰府市にある国分松本遺跡の7世紀後半から8世紀にかけての地層で、ことし4月に発掘されました。
太宰府市教育委員会などが、赤外線を使った特殊な装置で木簡の文字を読み取ったところ、現在の福岡県糸島市周辺に住んでいた家族少なくとも16人の名前が、身分や続柄など詳細な情報とともに書かれていることが分かりました。
使われている文字や人物の位などから、木簡は7世紀末のもので、転入や転出を示す文字があることから「計帳」という当時の住民台帳の元になった公文書とみられています。
日本の古代史が専門で九州大学人文科学研究院の坂上康俊教授は「戸籍に関わる史料としては国内では最も古いものだ。当時の朝廷がどのようにして人々を掌握し、中央集権国家になったかという過程を知るうえで手がかりとなる重要な史料だ」と話しています。

この木簡が見付かった年代は、天武天皇が、壬申の乱で勝った頃の事です。 この時は、

「当時の朝廷がどのようにして人々を掌握し、中央集権国家になった」と書いてありますが、福岡まで、掌握するどころでなかったと思います。 戦には、勝ったものの、周りは、中国人の敵だらけだったと思います。
国分松本遺跡は 大化の改新以後、福岡一体を掌握していた中国人が、中国式の「戸籍」を作って、この地を治めていたのではないかと考えています。
 そんな歴史は、お話にならないと叱られるかも知れませんが、今回は、そのことを述べるのではなくて、「家族少なくとも16人の名前が、身分や続柄など詳細な情報とともに書かれている」の所をご覧ください。

 家族少なくとも16人の名前と書いてありますが、他の新聞記事に拠りますと、別の名前もありますが、16人の人が、家族のようにして住んでいたとしますと、大家族となり、長老が居たと思われます。
 以前に書きましたように、100才近い長老がいますと、何事でも解決できたと考えています。病気にしても、ガンなどは無かったでしょう。糖尿病、心臓病も無かったと思います。
あったにしても、その時は、早く死ぬことになったと思われます。



 国内最古 戸籍関連の木簡の新聞記事の事は、別に、「楽しい人生」に書くつもりでいます。


歴史各論 三角縁神獣鏡(124)魏志倭人伝(75) 邪馬壹国は、何所に(71)邪馬壹国(30) [三角縁神獣鏡]

今日の読売新聞には、がっかりです。今日の日時は、2012年6月10日(日曜日)
  新聞のページは16頁です。

新聞記事のコピーを掲載します。
新聞記事.jpg


タイトルの『邪馬台国に科学の目』をキーワードにして、
Google で検索しますと、次のタイトルが、上位に並んで表示されます。
邪馬台国 九州周旋説 http://ameblo.jp/y52yd/

邪馬台国に科学の目|邪馬台国 九州周旋説 - Ameba
「通説の問題点」をクリックすると、2011-08-15 10:47:04 が表示され、昨年の8月に書かれた記事であることが判ります。 
邪馬台国 九州周旋説 http://ameblo.jp/y52yd/ の掲載は、新聞の掲載日と同じ
2012-06-10 14:23:50NEWになっています。
 新聞の記事が、作られたのは、一日前の2012-06-09 以前と云うことになります。
 邪馬台国 九州周旋説を作られたのは、昨年8月ですが、インターネットに掲載されたのは、読売新聞が、配達された日の、午後2時23分であることが判ります。

 このブログには、見ての通り、『日本古代史を科学する』の本の宣伝が掲載されています。

タイトルは『邪馬台国に科学の目』と『日本古代史を科学する』では、全く異なりますが、読売新聞は、『日本古代史を科学する』の本を売るために、この記事を掲載したと思われても仕方がないと思います。
 このブログは、著者の中田力氏が掲載されたものではないでしょう。


歴史各論 三角縁神獣鏡(123)魏志倭人伝(74) 邪馬壹国は、何所に(70)邪馬壹国(29) [三角縁神獣鏡]

北朝鮮では、長生きをしている人が多いのではないかと推理をしてみました。
 北朝鮮からのテレビの映像では、キチガイじみた軍人の行進。大勢の人によるマスゲーム。
 あの人たちは、餓死する人達の食糧を特別に支給されているのだと考える人もありますが、軍服を脱げば、やせ細った人ばかりですが、立派な軍人だと思います。
 そのやせ細った軍人は、力は出せないのではと思いたくなりますが、少なくとも、私よりは力持ちだと思います。
 日本の2000年前の人たちと今の北朝鮮の人たちの間を埋めるものが、見付かりませんが、、中国のハニ族の人の血は、日本と北朝鮮の人のなかにも、流れているのではないかと勝手に想像しました。

 紀元前後(今から2000年ほど前)に生活していた人は、長命であったという仮説は、如何でしたか。

 神武天皇から、崇神天皇までの人達は、長生きだけではなく、4代ぐらいの家族が一緒に生活していたのではないかと考えています。そうすることによって、100年間に起こった天変地異には、必ず、適確な対応ができ、病気にもならなかったのではないかと推理しています。
 話題かわりますが、
 現在、前方後円墳、方墳、円墳。そこから、出土する三角縁神獣鏡。銅鐸や小銅鐸の出土状況を集め、保存しています。

 『歴史の不思議』http://www21.atpages.jp/skeikas/ に保管しています。これから、まだまだ、件数は増加しますから、物の見方は、変るかも知れませんが、静岡県が面白いです。
 ①銅鐸の出土数が多いです。その内、小銅鐸が沢山見つかっています。小銅鐸が見付かった遺跡では、共通の事が有ります。
 そのことから、小銅鐸と銅鐸は、全く別物であると考えています。

②静岡県の前方後円墳は、今の所、14件ですが、もっと、増えると思います。特徴は、三角縁神獣鏡が多いことです。これは、朝廷から受け取った鏡と云うことになっています、中国人が、中国の高官から受け取った許可書(絹の売買の)のようなものだと思っています。

 京都の椿井大塚山古墳、奈良の黒塚古墳、桜井茶臼山古墳 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3
などは、許可書を貰って絹を関東から、九州や、日本海の村へ運んでいた人達ではないでしょうか。

 静岡の磐田市では、三角縁神獣鏡が出土しています。この人たちは、全員中国人です。
小銅鐸を所持していた人たちは、もっと、古い中国人で、福岡県から移住して来たのではないかと思われます。

③ 磐田市には、古墳が900基程あるらしいです。どうして、そんなに沢山有るのかと云いますと、古墳ですから。死んだ人が、それだけ多かったということです。病死の場合もありますが、古墳から武器が出土しておれば、戦死したと考えるべきでしょう。

④静岡では、天竜川を挟んで、南の方には、銅鐸が出土していますから、伊邪那岐神の子孫・天皇家の子孫。北の方は、三角縁神獣鏡が出土ですから、中国人の人達(魏の国の人)と勢力が分れるように思います。
 
④ところが、神社の祭神を眺めますと、紀元前の神が登場します。木花之佐久夜毘売が気になります。
 紀元前は、木花之佐久夜毘売、大山祇命が気になります。

人が収集したデーターは、いくら示されても、歴史は見えてきません。

ご自分で、収集してください。歴史が見えてくるはずです。

磐田市の900基の古墳は、是非集めて、公開してください。

歴史各論 三角縁神獣鏡(122)魏志倭人伝(73) 邪馬壹国は、何所に(69)邪馬壹国(28) [三角縁神獣鏡]

北朝鮮の崩壊を心配して、食べ物や石油などの援助をしていたのですが、私は想像だけですが、餓死する人は、それほど多くないのではないかと考えています。

 寿命も、書かれてあった数字よりも、もっと、高いのではないかと思います。

 折角、北朝鮮の内情を探ってきましたので、もう少し書きます。

 いろいろ言われていますが、間違いなかったことは、2002年の事です。

①北朝鮮は、日本人を拉致したことを認めました。そして、小泉首相が、北朝鮮を訪れました。
②個人崇拝の国であるのは、金日成・金正日・金正恩を称える表現を見ていますと、異常にも思えます。『テポドンを抱いた金正日』を書いた鈴木琢磨氏、只管、その点を強調しておられます。
 しかし、2002年からは、金正恩のお母さんの高英姫を崇拝する様子が異常なほどです。

③そして、2006年には、テポドン2号の発射が行われています。

 この3つのことを眺めますと、北朝鮮は、①も③も、世界に向けてのアピールではなく、国内向けのものであったと思われます。

 現在の北朝鮮の政府は、僅か、3代によって築かれた政府です。常に、倒されそうな勢力があるということではないでしょうか。
 その勢力を抑えるための軍事力がどれほど、すごいものかを高英姫も、軍事施設を訪れて、アピールしています。

 2000年前の日本では、日本人は、30歳ぐらいしか、寿命が無かったような歴史が語られていますが、これを推し進めますと、神武天皇も実在しなかった。崇神天皇の辺りの古事記に書いてあることは、デタラメだから、古事記は偽書であるという結論が導かれます。
 
 話が、あちこちに飛びますが、最近、静岡県の前方後円墳を記録していましたら、多いことが判りました。 それも、三角縁神獣鏡が見付かっています。

 これは、卑弥呼と関係があるのではなく、卑弥呼が生きていた時代と関係があるように思われます。
 卑弥呼が死んだのは、248年と云うことになっています。3世紀の事だと考えなければ、なりませんが、赤門上古墳の資料には
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E9%96%80%E4%B8%8A%E5%8F%A4%E5%A2%B3

築造は4世紀後半または末(古墳時代前期)と推定される。誰の墓なのかは分かっていないが、ロケーションの良さや埋蔵品から有力な豪族のものと推定される。

と書いてあります。

静岡の前方後円墳の資料をご覧ください。
http://www21.atpages.jp/skeikas/page255.html

 現在書いているブログのタイトルの最初の部分・三角縁神獣鏡に戻ってしまいます。

少なくとも、静岡県の歴史の先生は、なぜ、静岡県に前方後円墳が多いのか、なぜ、その古墳から三角縁神獣鏡が、出土するのか、説明されないといけないと思います。

静岡県の「静」は、絹に関係ある「しず」だと思います。絹織物を表す「倭文しずり」。絹の関係ある「志津」と云う地名。
静岡は、絹を巡って天皇家と中国人が、しのぎを削った所だと推察しています。

 結論です。いい加減な考察ですが、食べるものは貧しいほど、長生きはできるのではないかと云うお話でした。


参考になれば、
倭文神社はなにを教えてくれるか
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-08-08

歴史各論 三角縁神獣鏡(120)魏志倭人伝(71) 邪馬壹国は、何所に(67)邪馬壹国(26) [三角縁神獣鏡]

次のようなことは、私が知らないだけで、皆さんはご存じの事だと思います。タイトルを読まれて、知っていると思われたら、飛ばしてください。
 えっ、北朝鮮が最貧国じゃない!?
「GDPは世界で真ん中」数字は語る(その1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120106/225846/
いえいえ、やはり北朝鮮は最貧国です
「一人当たりGDPは576ドル」数字は語る(その2)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120110/225965/

韓国を凌駕していた北朝鮮経済
「半世紀以上実質マイナス成長」数字は語る(その3)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120111/226036/

日本よりは、寿命は短いですが、元気で、の寿命を考えた時は、同じぐらいかもしれません。
前回、書きました、福岡県の遺跡から、見付かった骨から判った、平均年齢は、28.3歳よりは、正確ではないかと考えています。


如何でしたか。先進国には、負けますが、直ぐにでも、潰れると思われていた北朝鮮が、10年経っても、潰れないのは、北朝鮮に対する判断が間違っていたのかも知れません。

 日本は、福島の原発で間違っていたにも関わらず、開発した東大の先生方は、一度も謝ることもしないで、原発を稼働することに決まりました。
 壊れた発電所の処置は、30年間かかるとか、50年間かかると報道されています。そんなにかかっていたら、今、処理をしている東電の人は、全員死んでいます。
 簡単に言えば、どうすれば、完全に処理が出来るのが、東電の人をはじめとして、誰も知らないのです。

歴史各論 三角縁神獣鏡(119)魏志倭人伝(70) 邪馬壹国は、何所に(66)邪馬壹国(25) [三角縁神獣鏡]

このシリーズは、邪馬壹国のことを書くつもりで、始めたのですが、邪馬壹国の女王が、卑弥呼という人だったことが、魏志倭人伝に書いてあったために、日本の歴史はムチャクチャになりました。卑弥呼は死んだのは、248年頃されています。
 この頃には、崇神天皇が日本を統治していたのに、それでは、卑弥呼とダブるために、崇神天皇は、300年以降の人だとされています。
 日本書紀に書いてあることから、計算しますと、そのようになるのでしょう。そうしますと、崇神天皇は168歳ぐらいで亡くなられたことになります。
 10代遡りますと、初代神武天皇になりますが、9代の天皇の歳を合計しますと、660年になるそうです。そうしますと、神武天皇は、紀元前660年ぐらいの人と云うことになり縄文時代の天皇となります。
 これは困りますので、2代から9代までの天皇は、古事記が、ねつ造したこととなり、
実際には居られなくて、崇神天皇が、初代の天皇と云うことになっています。

 人に拠りますと、神武天皇から崇神天皇までは、実在の人だという方もおられます。そうしますと、発掘された遺物などと整合性が合わなくなってきます。
 258年頃に亡くなられた崇神天皇(108歳)は、紀元後、330年頃亡くなられたとしませんと、古墳時代の話が合いません。
 最近は、古墳だけではなくて、遺跡もどんどん発掘されますと、一層、日本史は、ムチャクチャになりつつあります。

 他の所で、書きましたが、一般に云われている1代より10代の天皇のうち、高齢の天皇の年令から、60歳をひきますと、略、正しいと思われる歴史に近づきます。
 168歳と云われた崇神天皇は、60歳をひきますと、108歳になります。それでも、まだ、高齢です。現在でも、100歳の方は少ないですから、3世紀のころは、高齢の人はいなかったというのが、一般の常識です。

古代は、医学すらありませんでしたから、高齢どころか、平均年齢は、28.3歳と断定と断定しておられる文章がありました。
祭りと祈り~その1 http://blogs.yahoo.co.jp/kbqbh446/29128117.html

 WEBで検索して、書いてあることを読めば読むほどに、私が主張しようとしていることは、劣勢であることが分ります。
 次回は、違うことを考えておられる例を紹介します。

歴史各論 三角縁神獣鏡(118)魏志倭人伝(69) 邪馬壹国は、何所に(65)邪馬壹国(24) [三角縁神獣鏡]

前回、確か、10年前は、大変だったのでないかと、書きました。
 何が大変だったのかと云いますと、政府が、すべて、計画をたてて、農産物を作っていたのですが、飢饉がおこり、餓死する人が、一杯であるということが報じられました。偶には、誰が撮影したのか解らないガリガリの子供が、うつろな目で、カメラの方を眺めている写真なども掲載されました。
 私の記憶は、超いい加減ですが、世界に対して、抵抗をする北朝鮮に対しては、貿易などで、しめつけを行うことが、報じられました。 かと思えば、みんなで助けようという報道もありました。冬を乗り切るための、石油が無いとも云われ、食糧と燃料も提供することも決められたように記憶します。
 このような事情を報道で、知って、私の判断は、4~5年もすると、北朝鮮は潰れるなと、これ又、いい加減な判断をしていました。
 
 その頃が、今から10年ほど前かなと思っていました。直ぐに、潰れているはずの北朝鮮は、潰れるどころか、人工衛星は、失敗しましたが、外国メディアを招待してまでの実験でしたから、ある程度の自信はあったのでしょう。 それまでにして、人工衛星を飛ばすためのロケットは何のために必要かと云いますと、核兵器は、相当準備できたと考えるのが、普通です。

しかし、その兵器を飛ばすロケットが、無いことがわかりました。判ってしまいました。

それは良かったのですが、日本の防衛能力が、ゼロであることが露見しました。テレビでミサイルの発射実験が、失敗したと放映しているのに、日本政府が認めたのは、2時間(?)
 ぐらい経ってからだったでしょうか。

 餓死者が、増える一方だとの日本のメディアの分析は、悉く、間違っていたことになります。
このようなことから、 北朝鮮の資料など無くても、私は次の様に考えるようになっています。
北朝鮮の人は、食糧が、乏しくても、案外長生きをしている人は多いのでは
という私の推理を確かめる為に、北朝鮮の資料を集めています。

何か判ったかと云いますと、北朝鮮の人は、そこまで、隠すかと思えるほど、隠してばかりです。
 
私はこれまで、日本史を知ることにはまり込んで、12年になります。私の知った日本史がただしいかどうか分りませんが、どこかで見た歴史だなと思っています。

 中臣鎌足という人が、日本史に登場しますが、どうやら、この人の子孫は、藤原不比等であり、藤原道長であるらしい。逆に、中臣鎌足の先祖は,天児屋根尊であるらしいことになっています。
 藤原不比等には、6人の子供がいまして、夫々、立派な地位を手に入れました。
4人の男子は、4人とも病気で死んだことになっています。
 4人が同じころに死ぬとなりますと、伝染病が考えられますが、詳細は調べていません。

 外に、なにか理由があったのかも知れません。
藤原不比等が亡くなったのは、720年。道長が亡くなったのは、1027年です。
300年の隔たりがあります。
 この間、今の北朝鮮と同じようなことをして、精しい歴史は、誰も知り得ていませんが、最高の日本を建設したように考えています。

 北朝鮮の最近の10年間、金正日と金正恩の2代だけの事です。伝えたく無い自分たちの歴史は、出来るかぎり、消し去りながら、建国をしつつあるように思えてなりません。

 隠そうとしながら、建国をしていますが、隠すことが出来ない歴史が、10年前にあったことを見付けました。
 次回は、そのことを書いて見ます。

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