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歴史各論 三角縁神獣鏡(117)魏志倭人伝(68) 邪馬壹国は、何所に(64)邪馬壹国(23) [三角縁神獣鏡]

鈴木琢磨著『テポドンを抱いた金正日』、前回書いた時より、少し読み進みました。
北朝鮮にとっては、2002年が、激動の時だったように思います。
 しかし、元に戻ってしまったようです。

 話は2002年どころか、2000年前の紀元前後の事です。この頃は、すでに、日本に稲作が入っていました。稲作は、朝鮮半島を介して日本に入って来たと思われていますが、間違いだろうと考えています。
 少し前に、ハニ族の事を書いていましたが、現在の中国の雲南省あたりの人が、大量に移動してきたために、徐々に、日本列島に拡がったのではなく、一気に、稲作が拡がったと考えています。
 
 簡単には書くことは出来ないのですが、三内丸山遺跡では、早くから、計画的に、食糧を生産していた証拠が、次々見つかっています。日本では、大きく分けますと、畑作と稲作になりますが、畑作は、焼畑農業の時代が長く続いたのではと推察しています。
 焼畑農業は、収穫が減ってくれば、移動することによって、収穫を増やすことが出来ますが、ハニ族の棚田に見られるように、4代ぐらいの人が、一緒に住むことによって、文字が無くても、稲作を伝えることができ、定住が可能になったと想像してきました。

 すべて、2000年前の事で、データーもありませんので、現在の北朝鮮がヒントになるのではと考えて見ました。


 前回、北朝鮮の事を少し、書きました。北朝鮮の事は詳しいという方でも、碌々無に等しいデーターを使って、北朝鮮の解明を試んでおられます。

 私は、それどころか、資料はゼロに近いのですが、北朝鮮の人は、食べるものも無く、多いときは、餓死者が、60万人もいたと書いておられる人もありました。この数字は正しいのでしょうか。
 
 仮に、餓死者が60万人あったとの数字が正しいとします。その次の年は、どうなったと思われますか。不作が二年続けて起ることは可能性としては、少ないと思われます。
 農民であれば、次の年に使う種籾は残すのが常識ですが、手を付けますと、次の年は、天候が良くても、収穫は悪くなります。
 餓死者がどんどん出る様な数字は、北朝鮮は発表するわけはありませんから、脱北者からのデーターとなります。
  現在、日本の人口は、13000万人ぐらい、北朝鮮は、2300万人ぐらいです。大雑把な計算で、日本は、100万人弱の人が生れます。同じくらいの人が死にますと、人口の増減はありません。少しずつ、人口が減っているらしいですが、100万人死んでいると考えます。

日本  人口 13000万人 死亡者 100万人
北朝鮮 人口 2300万人  死亡者 60万人
 としますと、人口割にしますと、北朝鮮は、100万人の6分の1の16万人となります。医療技術が送れているとして、幼児や老人の死亡者が、倍としても、32万人にしかなりません。
 私がインターネットで見た60万人の餓死者は多い様に思います。外の病気で死ぬ人が、16万人の倍として、32万人です。合計、60+32万人で、92万人が、死んだことになります。
 60万人の餓死者は、半分が、成人としますと、次の年は、労働者が、30まんにんだけ、減りますから、生産力は落ちることになります。

 大いに、いい加減な計算をしましたが、計算をしながら、確かに、10年前は、大変だったのでないかと、推理しています。

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