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東の高天原(2) 歴史各論 [高天原]

「東の高天原」という言葉を使った人は、田村誠一氏です。私がこれまでに書いた文章に出てくる田村誠一氏です。膨大な本を出版されましたのに、どうしたわけか、一冊も残っていません。全国の大学に送ったと書いておられました。残っておれば、大学の蔵書にあり、インターネットで検索しますと、ヒットする筈です。
 どれほど、印刷されたか判りませんが、一冊も無いという事は、持っておられた方が、古書店に出されたとしますと、買われて、そのまま持っておられるか、処分されたと考えています。
 もっとも、大学に限らず、私費で出版された本は、著者が、自分を売り込むために書いたものばかりだから、図書館どころか、本屋さんも取り扱わないし、残らないらしいです。取り分け、田村氏のように、著書の中で、歴史学者の悪口を書いた本などは、図書館に置いてはもらえなかったのかも知れません。
 この様なことは、時代にそぐわないものは、すべて、抹消された可能性は大きいです。
 その代表は、古事記です。作られたのは、712年で、発見されたのは、江戸時代です。
 
 前回書きましたように、「高天原」という言葉は、古事記と日本書紀に残っていますが、田村氏は、「宮下文書」に書かれてあると著書に書いておられます。

インターネットで検索した「宮下文書」なるものの記事を記して置きます。

宮下文書
①幻の富士南朝-『宮下文書』-
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/fujinancho.html
②富士山延暦噴火の謎と『宮下文書』

http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/enryaku3.html

③東三河と徐福伝説
http://homepage2.nifty.com/kodaishinto/page006.html

④あ や し い 書 簡 箋
http://hachi-style.jugem.jp/?eid=79

⑤富士山の古代 高天原は富士山にあった。富士古文書・宮下文書
http://blogs.yahoo.co.jp/hujisyoki/1695711.html

少し、目を通して見ましたが、私は、宮下文書には、これ以上、知るつもりはありません。

と申しますのは、宮下文書は、偽書という事になっているようです。偽書とは変な言葉ですが、ある人やその時代の人にとって、そぐわないものは、なにか意図するところがあって書かれたものと云うことです。
 なにも意図しないで書かれることは無いのですが、なぜか、古い書物では、偽書扱いになるものが多いようです。

田村氏は、唯の高天原と云わないで、東の字をくっ付けて、「東の高天原」とされたのには、理由があります。この後に、「西の高天原」を見つけられたからかも知れません。
 

次回は、田村誠一氏が、どうして、「東の高天原」という言葉を使うつもりになられたかを書いて見ます。

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コメント 2

桂

vettyさん、はじめまして。
「高天原はヒルゼン高原だった」興味深く拝読させていただきました。
実は、つい最近、茅部神社に行ってきたところで、いろいろ調べているうちに、頭の中は「高天原はヒルゼン高原だった」でいっぱいになってしまいました(笑)

岡山県立図書館で田村誠一さんの著書「燦然と輝いていた古代」を借りようとしたんですが、館内利用のみとなっていました。
蒜山図書館では借りられるようです。
「神代遺蹟考」を次回借りて読みたいと思っています。
by 桂 (2012-06-26 19:02) 

vetty

「高天原はヒルゼン高原だった」楽しんでいただけまして、嬉しく思います。田村氏が云われたことは、皆さんに知っていただこうと思ってから、随分になります。あまり沢山書きすぎて、自分でもどこに書いたか忘れてしまいました。 左の下の方に検索するところがありますから、ヒルゼン高原をキーワードにしますと、いっぱい出ます。
 楽しい人生 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/ で、カテゴリーの「田村誠一氏に捧ぐ」を選択しますと、最近のものから表示されます。 下にどんどん、スクロールしますと、一番下に表示されるのが、一番古いものです。 
by vetty (2012-06-28 06:14) 

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