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東の高天原(17) 西の高天原(10)磐田原台地(8) 国分寺(3) 歴史各論 [高天原]

前回、遠近国の国分寺の資料があまりないと書きましたが、次の所に、写真や記事が有りましたので、ご覧ください。
http://komatsu0513.heteml.jp/totomi.html

さて、美濃国分寺趾の事は、自分が、行ったことが有るので、資料は一杯あると思っていたのですが、遠近国と同様に、WEBにはありませんでした。

次のブログを書かれた方は、美濃国分寺跡~円興寺~円興寺峠~涼雲寺~霞間ヶ渓~大津谷公園~蘇生の泉 と順番に回られたのですが、がっかりされた様子を、次のように書いておられます。
 PM2:02、美濃国分寺跡。
だだっぴろい広場。見ると、中央に低い石の台がある。
台に上ってみる。そこには柱の礎石が並んでいる――それだけ。
寺社の遺構なんて、たいていこのようなものだ。考古学的関心というものに乏しい自分にとっては、面白みの無い場所。ということで、現代の国分寺に向かう。
ブログは、http://homepage3.nifty.com/kkoon/road/n_tokai/12ikeda/record2.html
です。掲載してある国分寺趾の写真には、桜が咲いているのですが、文章を読んでいますと、一週間遅かったらしいです。

 次の所に、国分寺の事が書いてあります。
美濃国 http://komatsu0513.heteml.jp/mino.html
 ここには、「東西231m、南北203m。全国の国分寺の中でも最大級だ。
築地塀から金堂、塔などの礎石が、ほぼ完全に近い形で保存されている」と記しておられます。上に紹介しましたブログの方は、考古学の興味は無いのですが、
「だだっぴろい広場。見ると、中央に低い石の台がある。
台に上ってみる。そこには柱の礎石が並んでいる――それだけ。」
 広さだけに不満を残して国分寺趾を去っておられます。

 私も行ったときは、広さに圧倒されました。訪れたのが、夏でしたので、礎石の所まで歩いただけで、ぐったりしました。私の場合は、それまでに、あちこち車で走り回りましたので、疲れて傘をさして寝てしまいました。よう熱中症で死ななかったなと思いだしています。
 私は、このスケールの大きいだけで満足でした。 これと似た感じを持ったのは、京都府の亀岡市にある
丹波国分寺趾です。http://komatsu0513.heteml.jp/index.html
伯耆国分寺趾 http://komatsu0513.heteml.jp/hoki.html
 スケールの大きさは、造った人のスケールの大きさだと思いました。
 
 同じ京都府でも、丹後国分寺趾は、http://komatsu0513.heteml.jp/index.html
 前が海ですから、敷地が狭かったこともあるかもしれませんが、スケールが小さいです。

聖武天皇が国分寺建立の詔を出したのであれば、もっと、スケールの小さいものとなったと思います。
 ここには、国分寺だけが有って、民家は無かったのでしょうか。もし、無かったとしますと、国民のための施設でなかったことになります。

 資料館は美濃国分寺趾の傍にあるにしては、満足を与えてくれませんでした。

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