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これからの日本(453)歴史を知らない日本人(680)どう戦うか(658) [日本の道]

日置のことを調べられましたかと二度書きました。どうして調べるかといいますと、インターネットしかありません。
 きっと、探して頂いたと思いますが、めぼしいものは無かったと思います。
私は、『No301 一志町と日置』のタイトルでネットに載せています。
 これで、検索して戴きますと、次の3つがヒットします。全部私のものです。

1. No301 一志町と日置:新しい日本の歴史:So-netブログ
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2008-02-14
<2008/02/14 - No278 三重県と神島 >、において、三重県の神島と京都・大江町の皇大神社とを結んだ線上に、美杉村があることを書きました。三重県の地図をご覧ください。 松坂市の北西に嬉野町そして一志町が見つかります。一志町に「日置」という地名が ...

2. 日本史 但馬の歴史(7) 茶すり山古墳(7) 福知山の地名 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/mino_rekisi/16442753.html 少し、西へ移動しますと、〔日置ヘキ〕の集落です。重要な所から少し離れた所にあることが多いです。以前に、日置のことを書いたことがありますので、.
No301 一志町と日置をご覧ください。 http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2008-02-14.

3. 資料 古墳 箸墓古墳 (1) 北緯と太陽の道: 楽しい人生
rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/05/1-ec82.html2011/05/20 -

此の外に、太陽は、大阪府堺市の日置荘を通過しましたが、資料はなに一つ残らず、日置という地名だけが残っています。 箸墓古墳も、この太陽の道の上に造られたと ...


一つ目は 三重県にある美杉村が、三重県の神島と京都・大江町の皇大神社とを結んだ線上に、あるという不思議なお話を紹介しました。
 それだけではなくて、北緯34度32分上に有ると云うことを記しました。

 それだけではありません。 伊勢神宮もこの線上に有るために、伊勢神宮の創建にも、日置氏が加わっていたことになります。

「日置」は、日を置くですから、太陽の動きを観察することによって、北緯などという言葉は無かったでしょうが、緯度などを正確に知っていた集団だと思います。

もっと、大きい目で見ますと、この人達は、高皇産霊尊を祀っている人ではないかと考えています。
 高皇産霊尊は、日本書紀に書かれている神ですが、古事記では、高御産巣日神と書かれており、別名、高木神です。 古事記の最初に書いてある三人の神の一人です。
 
 古事記を書いた太安万侶は、天皇家にとっては、一番大切な神ですから、最初に書きました。
 
高御産巣日神が居なかったら、現在の天皇は存在しなかったと思われます。
といっても、高御産巣日神はどのような神かを知ることは、不可能に近いですが、現在、
高御産巣日神を祀っている神社がどのような神社かを調べることによって、高御産巣日神を知る積りになっています。

 調べた結果は、次の所に書いています。
 『神話で無かった古事記』 http://blog.goo.ne.jp/skeikas
 『古事記を考える』 http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/?二つ目が、2年続きで、攻撃された京都府福知山の「日置」です。近くに、千原という地名があります。千も原がある様な広い所ではありません。(地図で確かめてください。地図では判りませんので、二度、行って調べてきました) 千原は血原で、何度も戦争が繰り広げられた所だと考えるだけで、この周辺の遺跡をはじめとして、神社をめぐりますと、いろいろ発見出来ます。….ここは月読命が、警備するように派遣された所だと思われます----

3つ目は、北緯34度32分がらみで、この数字は、重要なことだと思った記事です。

高御産巣日神の人々の血液がどんどん、導入されて、日本に初めての、天皇が誕生したと思われます。

 この人達は、誰だと云うことになりますが、電磁波を使っている人達の中に、こうした人は、邪魔になると考える人がいて、取敢えず、日本から2200万人の人を抹殺しようとしています。  ---と私が謂うのではなくて、泉パウロ氏は、7冊の本に書いています。

 このように考えますと、伊勢神宮は、何時頃、誰によって作られたのかを知りたくなります。
 『伊勢神宮』をキーワードに検索しますと、一杯の書物が見付かると思います。
 どの本も、わけのわからない事が書いてあります。
とうとう、『伊勢神宮の謎』という本まで、書かれています。
これを調べるとなりますと、伊勢神宮・周辺に何度も行かなくてはなりません。

 この様に、伊勢神宮周辺を二度行ってきました。
 それでも、日置という集団はどのような集団であるということは見えてきませんでした。


参考に---3つ目の箸墓古墳のことは大切ですが、良く解かっていません。 私もよく解かっていませんが、続きは、次の所に書いていますから、覗いてください。

 資料 古墳 箸墓古墳 (2)  倭迹迹日百襲姫命
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/05/2-bfe6.html資料 古墳 箸墓古墳 (3)  被葬者は倭迹迹姫命
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/05/3-5235.html
資料 古墳 箸墓古墳 (4)  倭迹迹姫命は誰だ
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/05/4-4734.html
資料 古墳 箸墓古墳 (5)  倭迹迹姫命は誰だ(2)
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/06/5-2-61e5.html


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