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小さな発見・新しい発見  式内社に囲まれた平安京(58)  日吉大社(53) 大山咋神(7) [神社からさぐる歴史]

 前回、次回は、太秦について書いてみます。
と書きましたが、今日も、「葛」の字のことを書いてみます。

 太秦に住んでいた人は、私の考えている範囲では、中国人であり、ユダヤ人だったのではないかです。このことを前回書こうと思ったのですが、まだ、資料がありません。
 
 現在、私の頭の中で、もやもやしているのは、嵐山の松尾神社の祭神である[大山咋神]は、太秦の人より、早く、嵐山にやって来ていたのではないかと謂うことです。
 少し、遅れて太秦の人がやって来たのではないか。

 地図をご覧ください。
嵐山と太秦の距離です。地図で見れば、距離が判るのですが、この人達は、互いに交流があったかどうかです。

 今度の日曜日、天気であれば、嵐山を歩いてこようと思っています。
こんなことはどうでも良いのですが、両方ともが、「葛野郡」に含まれています。
 葛野郡のことは、次のところに書いてあるのですが、ここに、変な事が書いてあるのです。この方は、「葛」の漢字のことを書いて居られます。
 「葛」の文字は公式の表記「 葛」と異なる可能性があります。意味が良く解りませんね。きっと、この方もおかしいなと思っておられるのだと思います。後ろの「 葛」が少し違うようです。

葛野郡
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1_%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

 このページは、今日はじめて、見付けたのですが、
 郡の名前が記されていますから、ご覧ください。
 葛野郷(加度乃) 間違いなく、(加度乃)と書かれていますから、式内社が制定された927年には、「カドノ」であった筈です。
 ところが、「葛」の漢字には、(加度)という読み方は有りません。
 
「葛」の読み方は、
 カツ(漢)、カチ(呉)、くず、つる、かたびら、かずら、つづら

以上の事から、「葛」の字は、辞書では読むことができないのに、(加度乃)と読ませていたことが判ると思います。
 
では、中国でも、日本でも読まない「葛」の字をどうして、使ったかです。

 やはり、「葛」(くず)は一杯生えていたのだと思います。それだけではなくて、この「葛」を使って、糸を作って、蚕から作った糸と併せて、「帷子」を作っていた。
 「帷子」は「かたびら」と読むそうです。「帷子ノ辻」という地名があります。

 では、「帷子」とは、どのようなものか。
ブリタニカ国際大百科事典によると
夏の麻のきもの。古くは片枚 (かたひら) と記し,裏のない衣服をすべてこう呼んだが,江戸時代には,単 (ひとえ) 仕立ての絹物を単と称するのに対して,麻で仕立てられたものを帷子と称した。武家のしきたりを書いた故実書をみると,帷子は麻に限らず,生絹 (すずし) ,紋紗 (もんしゃ) が用いられ,江戸時代の七夕 (7月7日) ,八朔 (8月1日) に用いる白帷子は七夕には糊を置き,八朔には糊を置かないのがならわしとなっている。
 これでは、良く解りません。現物を実際に見たいものです。
ブリタニカ国際大百科事典の説明は、江戸時代ではこの様で有ったでしょうが、600年頃には、違うのではないでしょうか。

 葛野郡の名前は、ここに住んでいた中国人が付けた名前だとしますと、中国式の読みが優先です。
 「帷」この字、一字で、「イ」と読みます。「イ」と読む漢字は、沢山有ります。「帷」の右の部分は、フルドリと言い、鳥と関係があります。「フルドリ」を含んで、「イ」と発音する漢字は、維、唯、蜼。 鳥はどのように関係あるのかと言いますと、鳥占いの事が書いてあります。意味は、たれぎぬ、とばり。まく、おおい。おおう。かたびら。と4通り有ります。

 「とばり」と読む漢字は、【帳/帷】があります。
「帳」を使った漢字は、蚊帳があります。このように、熟語からも、「帷」の意味が推測されます。

 「たれぎぬ」--高貴な夫人が、帽子を被り、顔の前に、絹の布を垂らした姿を見たことがあります。之等もそうでしょうか。
 履中紀「室(よどの)に入り帳を開けて」使われています。 之等は、ただの蚊帳ではなくて、夜の帳でしょうか。 そうなりますと、「かたびら」にはは、隠すという働きもあることが分ります。

「帷」この字、一字でも、「かたびら」と読んだようです。では、「子」はつきますと、どのような意味に成るでしょうか。

 先ほどの葛野郡をご覧ください。
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1_%E8%91%9B%E9%87%8E%E9%83%A1%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
 ここに式内社の一覧が書いてあります。

 現在、松尾大社と書いてある神社は、「松尾神社 二座 」と記されています。
 この頃は、神社であったのに、現在は、大社と呼ばれています。

特徴と書かれた所に、
「狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行である」とされ、現在も神事に狂言「福の神」が奉納されるほか、酒神として酒造関係者の信仰を集める」と記されています。
 
 お酒の神とはどういうことでしょうか。
 式内社一覧の最後に「大酒神社」と書いてあります。先日、木嶋坐天照御魂神社 に行く時に、偶々、大酒神社の前を通りました。


葛野郡には、式内社が 20座もあります。
平野祭神四社の名前も見えます。この神社は、61年振りの大雪が降った 1月3日に 北野天満宮に行ったついでに参ってきました。
 おかしな神社だなと思いました。なにも知識は無かったのですが、北野天満宮の直ぐ、隣でしたので、立ち寄りました。 ここの神社の南に下った所に、「八将軍神社」がありました。これも、不思議な神社です。

 これらの神社は、すべて、平安京ができてから誕生した神社ですが、神社が勝手には出来ません。ここにやって来た人達が、自分達の先祖を祀った筈が、お酒の神さんを祀っていると書いてあるのです。
 これも間違いでしょうから、解きほぐしませんと、平安京の歴史は、判らないことになります。出来ましたら、今日書きました神社は、全部、お参りください。車では、わからないと思います。せめて、バスか嵐電を使って歩いてください。
 次回、もう一度、「葛」の字のことを書いてみます。

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