SSブログ

小さな発見・新しい発見  式内社に囲まれた平安京(60)  日吉大社(55) 大山咋神(9) [神社からさぐる歴史]

私が住んでいる所を書いておきます。大阪府の北の方の箕面市です。京都に行く時は、いつも、大阪市内迄、阪急電車に乗って出ます。同じく阪急電車に乗って、京都迄行きます。この電車の終点は、四條河原町です。京都に行く時は、これしか知りませんでした。

 でも、昨年暮れから、毎週のように京都を訪れていますが、12月21日の東寺の「終い弘法」http://www.digistyle-kyoto.com/event/ichi/post_93.htmlに行ってから、京都に対するイメージが変わりました。東寺は、南区9条に有ります。地図を見ましたら、JR京都駅が8条にありますから、JRで行くことにしました。
 74歳になりますが、初めて京都駅に降りました。
 
 9条と8条ですから、1条分だけ、南に歩くことになりました。
どれほど、ワクワクしたかはお伝えできません。町の様子は、勿論新しいお家もあり、広い道路も有るのですが、昔の町が有るのです。外国人が観光で訪れるのは、京都が日本で一番だと思います。
 清水寺も東寺の五重の塔も良いのですが、普通の街を歩いているだけで、自分の国にでも見付ける事が出来るものを肌で感じて、その素晴らしさに感動されるのではないでしょうか。
 東寺の次に、羅城門に行きました。勿論、そのようなものは残っていません。ここがその跡だという碑が立っていました。
 その後、東寺に対して羅城門の反対側にある西寺の跡に行きました。兎に角、寒くて心臓発作を起こすのでないかと思える寒さでしたが、この遺跡を見るだけで、京都が好きになりました。
 どうして好きになったかと言いますと、西寺の痕跡はなに一つ有りませんが、そこは、広い公園にして、ここに有ったのだと看板に書いてありました。
 でも、真ん中を高く土を盛って、その上に、大きな礎石が、確か三つ無造作にほうって有りました。
 本当ならば、ここに大きなビルを建てても良かったのですが、誰が公園として残すと決定したのでしょうね。
 
 その後、西本願寺と東本願寺へ行くつもりでしたが、家内は、ここで一歩も歩けなくなりましたので、タクシーに乗りました。
 西本願寺から東本願寺までは又、歩きました。 隣りに有るお寺ですが、どれほど遠かったか。どれほど、大きな寺院であるかを発見しました。

 もっと、感激したのは、地名を示す標識が古いことです。ということは、ここ50年は、壊れていない物は、取り替えもしないで、現役で有ると云うことは、町名は変わっていないと云うことです。
 私の町ですと、大阪府箕面市百楽荘1ー8ー7 というように、地名もあたらしいし、
 1ー8ー7 からは歴史を知る事は出来ません。
 この表示は、行政を行う人にとっては、便利ですが、箕面に住民にとっては、隣り町の人との交流も無くすものとなってしまいました。

 京都の人は、一度付けた地名は書き直さなかったのではと思います。

話が、変な方向に飛んでしまいましたが、この後に、1月3日に61年振りに大雪(21センチ)となった京都の北野天満宮と平野神社と大将軍神社へ行ってきました。同じ方向に金閣寺がありましたので、バスの乗客は、殆どの人が、そこで降りられたのですが、それを知らない私たちは、北野天満宮へと行きました。
 受験に近いこともあって、合格を祈願する人で一杯でした。

北野天満宮~大将軍神社まで、全部歩きました。

 歩きますと、次から次へと新しいことを発見して、京都の人は、生き生きとして生活して居られることを知りました。

そして、始めに戻ります。
 私が住む箕面市の北に豊能町があり、その北に能勢町があります。
 豊能町の隣りが、京都府亀岡市です。能勢町の隣りも亀岡市です。箕面市から、豊能町や能勢町を通って、バスもありませんし、鉄道も走っていません。
 
 おかしいのですね。日本は、北に長い所ばかりです。
京都は、日本海から、奈良県まで続きます。大阪も、能勢町から和歌山県まで続きます。

 物も人も、南北に流れたからだと思います。 これは、東西に人と物を遮る地形があったからだと思います。

と云うことで、近いうちに、歩くには距離があるので、車で、亀岡市まで行って来ようと思っています。

えらい前置きが長くなりましたが、京都の地名は、他の町と異なって、歴史を残しているのではないかと考えています。
 先日から、「葛野」という地名が、他所者には読む事が出来ない「カダノ」と読まれていること。
「葛野」の名前が、自分の住んでいる横町の地名ではなくて、「葛野郡」という広範囲の地名となっていたこと。「葛」の一字だけで、「かたびら」とも読むし、「帷」、「帷子」だけで、やはり[かたびら]と読む等おかしな事ばかりです。

このように考えてきますと、京都に限りますと、地名がどうしてつけられたかを知るだけでも、京都の歴史を知ることが出来ると思っています。

次回は、「葛」にはどういう意味があるのかを書いてみます。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。