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小さな発見  新しい発見 式内社に囲まれた平安京(66)  木嶋坐天照御魂神社(4) [神社からさぐる歴史]

木嶋坐天照御魂神社や蚕の社をキーワードにして検索しますと、一杯出てきますが、
木嶋坐天照御魂神社と蚕の社は同じ神社であるように書いて居られる方が一杯です。
 
 私は今回で二回目の訪問でしたが、同じようにも思いながら、異なるようにも思っていました。一回目の時は、神社の前まで、車で行きましたので、良く解らないままに、木嶋坐天照御魂神社の別の呼称が「蚕の社」なのだと思っていました。
 
今度は、「三柱鳥居」はユダヤ人と関係あると目星をつけて、「三柱鳥居」の写真を丁寧に撮影してなんらかの手がかりをつかむつもりでした。

 「三柱鳥居」は池の中に立っていましたので、そこから何かを掴むつもりでしたが、水は枯れていて、なにも感じるものすらありませんでした。 次のブログをご覧ください。
 水の中にある鳥居と水の無い鳥居とは、まったく受ける印象がことなりましたた。

木嶋坐天照御魂神社
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/kijima.html
 
タイトルを含め、次のように書いて居られます。


             木嶋坐天照御魂神社
付--蠶養神社(蚕の社) 京都市右京区太秦森ヶ東町 祭神--天御中主命・大国魂命・彦穂穂出見尊・鵜茅葺不合尊  延喜式神名帳に、「山城国葛野郡 木嶋坐天照御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗」とある式内大社で、境内社として蚕養神社(コカイ)を祀ることから、一般には「蚕ノ社」(カイコノヤシロ)として知られる。なお、神社名は“コノシマニマス アマテル ミムスビ”と訓む(以下「木嶋社」と記す)。

次の文章が、初めに書いてあります。
 京都の中心・四条大宮と嵐山を結ぶ京福電鉄嵐山本線・蚕ノ社駅下車、すぐ東の道路脇に立つ一の鳥居(神額には「蚕養神社」とある)をくぐり北へ、突き当たりの左手に二の鳥居(神明型)があり境内に入る。二の鳥居の右に「式内郷社 木嶋坐天照御魂神社」との石柱、「蠶神社」との小石柱が立つ(蠶-蚕の古字)。

何度読み直しても、この神社は、木嶋坐天照御魂神社と呼び、「蚕ノ社」が祀ってあるので、一般には、「蚕ノ社」として知られていると書いてあります。

そして、木嶋坐天照御魂神社・一の鳥居と記し、左にその写真を掲載し、右に、同・二の鳥居として居られます。
 
二の鳥居の左手に掲げる由緒によれば、
 「当社はアメノミナカヌシを主祭神として奉じ、上は天神から下は地神に渉る御魂の神徳を感じて天照御魂神と称し奉り、広隆寺創建と共に勧請されたと伝えている。学問の神・祓いの神である
とある。

私は、この由緒は見逃しました。
 この記述が本当としますと、おかしいですね。アメノミナカヌシと云う人は、日本を建国したした人の中の一人であるのに、その人の魂の神徳を感じて、秦氏が木嶋坐天照御魂神社と広隆寺を創建した時に、どこからか勧請したと書いてあります。ということは、アメノミナカヌシは学問の神であり、祓いの神であるとされています。

今回の参拝は、車は、止めて、行き帰りは、全部徒歩にしました。
四条大宮と嵐山を結ぶ京福電鉄嵐山本線・蚕ノ社駅下車。降りて直ぐに、一の鳥居を見付けました。ここから、真っ直ぐに、北に行けば、木嶋坐天照御魂神社ですから、間違いないと思いましたが、額には、木嶋坐天照御魂神社ではなくて、「蚕養神社」と書いてありましたので、「蚕養神社」の字だけをアップに収め、納得がいかないままに、ここを真っ直ぐ行けば、木嶋坐天照御魂神社だと思って歩きました。

この神社は、木嶋坐天照御魂神社の鳥居ではなくて、「蚕養神社」の一ノ鳥居でした

そして、このブログの方が、二ノ鳥居とされている所には、写真の右に日本の石碑が写っています。大きい方が、木嶋坐天照御魂神社の社号名が記されています。
  木 島 神 社 (木嶋神社) ・ 蚕 の 社 (右京区)
http://everkyoto.web.fc2.com/report375.html
 上から5枚目の写真です。

 左に、小さく有るのが、、「蠶神社」と書かれています。上の写真のつぎにアップの写真があります。



長いこと、ややこしい事を書いてきましたが、
木嶋坐天照御魂神社
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/kijima.html

を書かれた方が、掲載されました「木嶋坐天照御魂神社・一の鳥居と二ノ鳥居」は間違っておられる事になります。
 鳥居の形が異なります。
  一の鳥居と書かれた鳥居は、蠶養神社(蚕の社)の鳥居で、二ノ鳥居と書かれたのは、蠶養神社の二ノ鳥居であったのが、木嶋坐天照御魂神社に乗っ取られた事になります。

蚕の社には、蠶養神社と木嶋坐天照御魂神社の社が二つ有る事は、今度は勉強していましたので、別々に写真を撮るつもりでしたのに、帰る間際に写しましたら、並んでいるところは、上手く撮れませんでした。

 次回は、蠶養神社と木嶋坐天照御魂神社の建物の事を書いてみます。

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