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小さな発見・新しい発見 式内社に囲まれた平安京(67)  木嶋坐天照御魂神社(5) [神社からさぐる歴史]

前回、蚕の社 の鳥居をご覧くださいと記しましたが、どの写真もはっきりしませんので、次の写真をご覧ください。
 https://www.google.co.jp/maps/uv?hl=ja&pb=!1s0x6001077577a07e1f:0xc2e46352c064472b!2m5!2m2!1i80!2i80!3m1!2i100!3m1!7e1!4shttps://plus.google.com/101549819960802976594/photos?hl%3Dja%26socfid%3Dweb:lu:kp:placepageimage%26socpid%3D1!5z5pyo5baL5Z2Q5aSp54Wn5b6h6a2C56We56S-IC0gR29vZ2xlIOaknOe0og&sa=X&ei=Y675VLKVCYvc8AW1i4K4Dw&ved=0CIIBEKIqMA8

この写真でもハッキリしないのですが、この鳥居は、白木なのでしょうか、黒木なのでしょうか。
 一番上の木は、円柱なのでしょうか、角柱なのでしょうか。
他の神社では、多くの人は、真正面から撮影されていますから、上の事は判りません。


鳥居の起源や形、色について知りたい。稲荷神社の鳥居がなぜ赤なのか等。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000076423

このような質問に対して、四人の人の解答がありました。
 なるほどと思える回答もありましたが、皆さん、一言で云えば、規則はあってないようなものだと書いて居られます。きっと、いっぱいご存じなのでしょう。

 あまりにも多過ぎで、分類などして居れないのだと思います。どの方の解答も、正しい様に思います。
 
 一番私が感心したのは、
 鳥居の形
http://members.jcom.home.ne.jp/1614661501/jinja/torii/torii.htm でした。

 先日来、見て頂きました写真の鳥居は、上から二番目の横の柱を「貫」と云うらしいですが、建ての日本の柱の間からは出ていませんでした。 もし、鳥居の絵を書いてくださいと云われたら、殆どの人は、一番上の絵を描くでしょう。興味のない人でも、書くと思います。
所が、造る人は、普通の大工さんではなくて、鳥居の専門家の人が居られるのだと思います。建造を依頼する人は、氏子の人であり、神主さんであろうと思いますが、鉄筋などで造りますと、100年以上は持つでしょう。
 と云う事は、人でいいますと、5代で一回建てるかどうかですから、言い伝えなどはいい加減な物になります。

 私は、調べる為に一日で、同じ所で、10社ぐらい参ります。10社とも式内社ですから、900年頃には、存在した神社ですし、造った大工さんも、神社ごとにおられる訳では無いので、地域内の仁は、良く似ているなという印象を持って居ます。

しかし、本来ならば、決まっていると思います。その一番の証拠を次回に書いてみます。

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