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小さな発見・新しい発見  7つの銅鐸発見(13) [神社からさぐる歴史]

奴国は鳥取県の西伯郡と日野郡の所とは、初めて聞かれたと思います。
 
7つの銅鐸発見は、淡路島だったことが重要だと述べました。それは、古事記の国生みのところに、書いてあったからです。
 
 高天原にやって来たイザナギとイザナミは、一番にオノゴロ島を造り、次に水蛭子を生み、次に淡島を生んだと書いています。
 三つとも[島]に入れなかったと太安万侶は書きました。

 この淡島は、淡路島の事です。現在の淡路島が、いつから[アワジシマ]と呼ばれていたか判りませんが、「淡島」の次に、淡道穂狭別島、二名島、三子島・・・・と生んだと記しています。

必ず、古事記の原文か、訳本の、「淡島」、淡道穂狭別島、二名島、三子島 に鉛筆で記しを付けてください。 そうすることによって、自分の頭の中に記しを点けました。こうしませんと、高齢者の私の頭は、言うことを聞いてくれません。
 
淡路島の初めのころは、淡道穂狭別島と同じ様に、年代に依って、大きさが大きくなったり、小さくなっていたと思われていたのではないでしょうか。海岸線を走っていた道が、常に変化したと思われます。

 少なくとも、太安万侶は、淡路島と淡道穂狭別島に、「淡」を使ったのではないかと考えました。

 古い地名は、どのようにして付けられたかは、判りませんが、「島」ですと、本来の島ですと、大島----大きな島、大王が住んだことのある島、屋島---屋根の形をした島、中之島、対馬、津島・・・。島の前にあるのは、島の形容詞です。
 島の形を見るだけで、地名の意味が判ることが多いと思います。

目からウロコの地名由来
http://baba72885.exblog.jp/6943029/


問題の奴国は、

日本大好きNo74 奴国は、どこだ
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-05-17
に書いていますので、読んで戴ければと思います。


追記
いろいろ検索していましたら、私のブログを見られて、私のした旅と同じ様に、旅されたようで、ブログを書いていただきました。

 何分、太安万侶が古事記を書いた700年頃を頭に描きながらの旅ですから、大変ですが、年令によって、感じ方が異なります。 どんどん、思われたまま、書いていただければ、嬉しいです。

田村誠一 氏 指摘の地名めぐりの旅http://kibi33.com/kibi/2009/11/08/%E7%94%B0%E6%9D%91%E8%AA%A0%E4%B8%80-%E6%B0%8F%E3%80%80%E6%8C%87%E6%91%98%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%97%85/

竹田神社 稗田阿礼の出生地?http://blogs.yahoo.co.jp/itigonnusi/66890881.html
高鴨神社(愛媛県西条市)の存在を教えて頂きました。 併せてご覧ください。ここにある地図が重要です。地図を移動させて、外の地名や神社を見付けてください。三嶋神社の名前が見えます。
 
阿遅鋤高日子根神(あじすきたかひこね)と一言主神(ひとことぬし) 。
この神と、10代迄の天皇と関係があるのではと考えています。



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