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真説建国史のあらまし(2)  4ページ [真説 建国史]

 天皇家が何れ滅ぼされることを予知して天武天皇は稗田阿礼に天皇家の系図等を暗誦する様に命令した。これを712年に元明天皇の時太安万侶が紙に書き残したのが古事記である。しかし現在の古事記は1263年に藤原朝臣によって、日本書紀に合せて校正されたものである。  古事記は完成すると不比等に見付かって没収され、これとすでにあった怪文書の帝紀と本辞から占領軍の建国史、日本書紀が720年に編集された。従って日本書紀には藤原氏に取って都合悪いことも、漢や魏が大敗したことも伏せてある。九州は漢の植民地の北鮮の四郡の飛び地で、従って不比等はここを建国発祥の地にしたくて、地名などの偽証を行った。  鎌足の先祖は紀元前2世紀に中国から渡来した天児屋根命で代々中臣を名乗った。5世紀には中臣の本拠地は河内の志紀郡国府の場所で古事記の雄略天皇の御世に志紀宮が記載されている。関東の稲荷山と熊本の江田船山の中国製武器の鉄剣には志紀宮ワカタケルに仕えたと刻まれ年代は471年だった。

これより管理人の私の感想天皇家が何れ滅ぼされることを予知して天武天皇は稗田阿礼に天皇家の系図等を暗誦する様に命令した。 この部分は、古事記の最初の序文に当る所に書かれています。
原文を記します。

於是天皇詔之「朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰錄帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。」時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。卽、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然、運移世異、未行其事矣。 

現在の古事記は1263年に藤原朝臣によって、日本書紀に合せて校正されたものである
 この部分は、この記事を書かれた時点では、根拠を書かれませんでしたので、次の『第19話 壬申の乱は日唐戦争  藤原一味が改ざんした現古事記』において、書いておられます。
  
 現存する古事記の最古の写本は真福寺本で、この中巻の奥書に1263年に藤原朝臣が仮病をつかって、家に籠って校正したと書かれている。仮病をつかってとまで奥書に書くことは原古事記を改ざんして、原本は焼捨てでもしない限り、書ける字句ではない。以下、省略

全文は、次に掲載しました。
 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/08/19-f548.html 

藤原朝臣の事は、次の著書の『第19話 壬申の乱は日唐戦争 虚偽の帝紀と本辞を書いた藤原朝臣』に書いてあります。
 http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2011/08/19-c929.html

従って不比等はここを建国発祥の地にしたくて、地名などの偽証を行った
 地名の偽証された例は、10例ほどは欲しい所ですが、確かめていません。

鎌足の先祖は紀元前2世紀に中国から渡来した天児屋根命で  以下の部分は、正しい様な気がしますが、その証拠はどこにあるかは 確認していません。

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