SSブログ

小さな発見・新しい発見  7つの銅鐸発見(17) [神社からさぐる歴史]

前回、田村氏が、感動されたものとして、①黒陶器と漆を紹介しました。

 「よく似た黒陶器を東北で出土したことを覚えておられ、」と書きましたが、正確にはよく解りません。田村氏は、「中山王国文物展」で見られた黒陶器は、中山王国しかないのだと書いて居られたと思います。

 私も調べて見ましたが、インターネットでは、それを見付けることは出来ませんでした。

今回、もう一度と、調べていましたら、
中国の陶磁器 ウィキペディア 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8
を見付けました。
 
 この中に、[黒陶と鉛釉陶]のタイトルに、次の文がありました。

戦国時代の特色ある陶器としては、中山国王墓から出土した黒陶群がある。河北省石家荘市平山県の中山王墓群から出土した一連の黒陶器は、青銅器または漆器を模した器形で、器表は漆黒を呈し、念入りに研磨され、形態、質感ともに金属器を思わせるものである。器表には磨光文と呼ばれる特殊な技法による文様が施される。磨光文は、彩色されたものではなく、成形後に器面を竹製か木製の道具でこすることによって文様を表したもので、光の当たり具合によって、黒い器の表面に黒い文様が浮かび上がる[49]。

中山の王墓  http://mn94.zhaoxinpeng.com/subview/857285/857285.htm
 このブログでは、黒陶器の説明は少ないですが、中山の王墓からの出土品のことは詳しいです。

No71 中山王国の人は、日本の縄文人?http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-10

No70 イザナギは中山王国からやってきた
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-10-08


田村氏は、日本の黒陶器は、葦の腐植土でできた土でつくると黒い陶器が出来ることをどこかで見付けられた様です。

No65 中山王国の特徴 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2005-09-28
に紹介しました。
ここには、次の様な文を書いています。
  田村誠一氏は、イザナギが、中山大国から移民であるというだけでなく、津軽に住んでいた縄文人が、忽然と居なくなったときと、中山大国が建設された紀元前530年がほぼ、一致するから、縄文人は中国に移動し、遊牧生活をした後、中山大国のところで定住したと述べています。あまりにも、突拍子な考えですが、楽しいストーリーだと思います。それゆえ、「中山」という日本名となっていると。

生きもの身体のリズムは、[7]と関係があるという話は、私の知っている知識です。
[28]はなにかご存じですか。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。