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白狄人関東、東北に移動、蝦夷となる   46  -78- [真説 建国史]

神武天皇は中国人のニギハヤヒ命が、銅鐸圏を支配していた白狄人の登美毘古を欺して支配者になったので討伐を行った。この討伐を神武東征と呼んでいる。
 白狄人はもともとイザナギ命が支配者で、神武天皇の先祖の天照大御神はイザナギ命から高天原や伯耆の支配を任されていた。従って、天皇に取っては白狄人が敵ではなくて、ニギハヤヒ命の一族が敵である。
 この時白狄人はやむなく銅鐸を畑のほとりに隠して東に再び大民族移動を行った。単一少数民族はかたまって暮らすことが生残るための必要条件である。
 この人達は何れ蝦夷と云われ、巨大な勢力になると、是を征伐したのは漢族である。
例えば坂上田村麻呂は〝系図総覧〟では先祖は後漢の孝霊皇帝であるのが一例である。
 神武天皇は東征の時雲南方面から大量の稲作民を導入した。この時この稲作民は北は津軽にまでも入植したが、この地域は稲が育たないので引揚げて関東等に再び安住の地を求めて移動したことだろう。

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