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漢の銅鏡三十余国で出土   48  -80- [真説 建国史]

後漢書で使駅通じる国とは漢の手先となって日本国内で絹を収奪した国のことだ。漢の独特の銅鏡に内行花文鏡とか方格規矩鏡がある。これらの鏡が出土した国は上野、下野、相模、甲斐、遠江、信濃、越中、美濃、尾張、伊勢、伊賀、近江、大和、山城、摂津、河内、和泉、紀伊、播磨、伯耆、出雲、美作、吉備、安芸、周防、長門、阿波、讃岐、伊予、対馬、壱岐と九州各国である。これだけで三十余国に達する証拠が現われた。
 これは漢と航海が行われていたことで、古代史を考える時には航海は自由に行われたと考える必要がある。
 紀元前108年には朝鮮には玄莵、真番、楽浪、臨屯の四郡が漢の植民地として誕生した。又漢はベトナムまでも水軍を出して占領していた。この様な猛烈な侵略主義、覇権主義の国が日本の百余国を占領できないで僅か三十余国を支配下に収めていたと考えることである。
 更に朝鮮の四郡を紀元前から占領しながら南鮮は紀元300年まで遂に占領しなかった。



私よりのコメント
 これほど、凄い発見は無いと思います。 上に書きました国は、中国が支配していた所です。 こうなってきますと、出雲の方は、2000年前から、住んでいた人と中国からやってきた人とが喧嘩をしたり、仲良くなったりしながら、現在に至っていることが判ります。
 これを確かめるためには、出雲の方、全員の血液の遺伝子をしらべれば判ることになります。

上野国の方は、内行花文鏡が出土しました。これは、中国人の人が、中国からやってくるときに、中国の皇帝から、貰った鏡です。 出雲の三角縁神獣鏡は、魏の国があったときに、日本で作られた鏡だと思います。作ったのは、九州にいた呉の国の人だと思います。
 何故かと言いますと、後の国の人の方が、作るのが上手だったからです。 何処で作ったかと言いますと、福岡県で作られたと考えています。

先ほどは、出雲の人は、中国人と書きましたが、群馬県藤岡市の方は、それより早く日本にやってきた中国人と言うことになります。

この調子で、全国の人の先祖が判ることになります。 この調子で、調べますと、現在の日本人は、7割は、中国、朝鮮、チベット、ビルマあたりからやってきた苗族の人と漢族であることが判る事になります。


以下は、上の30ヶ国の資料を調べるための資料です。 中国の鏡が見つかった所から、2km 以内に 式内社があるはずです。 ここの氏子のみなさんの先祖が判ることになると思います。

出雲 三角縁神獣鏡 
神原神社古墳  http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara%20jinja.htm

上野国 群馬県 白石稲荷山古墳 群馬県藤岡市白石字稲荷原
前方後円墳 170m 内行花文鏡 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%9F%B3%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3



私はこの30ヶ国の人達がいなかったら、現在の日本は存在しないと思います。


私のコメントは、私がこれまでに調べてきたことから言える事です。

従いまして、この私が気に入らない人は、私を殺すしかないと思います。 このように、古事記を信じる人と、日本書紀を信じる人が、 延々と2000年、闘ってきたことになると考えます。

出雲の歴史も、分らない事だらけでしたが、福岡の歴史も判りませんでした。
福岡の場合は、式内社だけではなくて、普通の神社の資料を蓄積しています。

福岡県神社誌に書いてある資料を保存しています。
 次の資料は、福岡県の三井郡に存在する神社だけです。
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page1022.html

最後の行の「更に朝鮮の四郡を紀元前から占領しながら南鮮は紀元300年まで遂に占領しなかった

この理由はお解りですか。 これから後に続く田村氏の『真説 建国史』を読まれますと、解かってくると思います。

本文の上から3行目の出雲と 4行目の上野(色が変えています)をクリックしますと、漢鏡の出土したデータを見ることが出来ます。 出雲がどうしても、上手く表示できません。http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara%20jinja.htm

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