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西域の月氏からの亡命者、月読命   67  -99- [真説 建国史]

 イザナギ命の急を聞いて、多くの神がかけつけたのである。イザナギ命は三人の大王クラスの神が来られたので大変喜ばれて夫々の治める国を定めた。天照大御神には高天原を治めと命令された。この神は揚子江を降って渡来された大王である。恐らく周の時代の太伯の子孫と考えてよいだろう。 月読命は丹波の天田郡の夜久野を治めよと命令された。古事記には「夜之食国とあったが「夜食之」なら夜久野でよかった。天田郡と天がつくのは雲南に縁がある地名で、ここには月読命を祀った神社が数社あった。この隣りの大江町に伊勢大神宮があって月読命も祀られていた。紀元前174年に西域で月氏が匈奴に追われた事件があった。ヒルゼン周辺の山は仏教の須弥山式に山をセンと発音させている。大山、蒜山、烏ヶ山、氷山、仏ヶ仙等がその例で仏教を知っていた人が渡来して来たと考えられる。しかも月氏と月読命は月の字が共通していた。  恐らく絹を運んでいたユダヤ人から、東に楽土があると聞いてはるばる渡来したのだろう。

---私のコメント---
①「イザナギ命の急を聞いて、多くの神がかけつけたのである」とは上手く古事記を翻訳されたものです。
「古事記を読む」とのタイトルの本は沢山出ています。私も始めて『新しい古事記の読み方』のタイトルの本を100冊作りました。164ページ¥1000でした。神代の半分を書き、次回で、神代は完結と思っていましたが、一冊2400円もの原価が掛り、一札も売れませんでした。無料で貰って貰いましたが、気が付きましたら、手元に二冊しかありませんでした。
無料は駄目ですね。「読まなくなりましたら、古書店で売って下さい」とお願いしましたが、皆さん、捨てられたのでしょう。見付かりません。

読み返して見れば、なかなか面白いと思うのですが、お渡しした人で、「面白かった」と云われた方は、ゼロでした。


古事記では、
イザナギ命が左の御目を洗っている時にやって来た神が天照大御神で、右の目を洗っている時にやって来た神が月読命で、御鼻を洗っている時やって来た神がスサノオ命である。これは殆ど同時にやって来たことだ。


<大山の南麓で行ったみそぎ>で紹介しましたね。
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2016-01-03
 イザナギ命が左の御目を洗っている時にやって来た神が天照大御神で・・・・。
 こんな馬鹿げた話は、100パーセント有り得ない話です。

なのに、日本書紀を書いた人も、同じように書きました。もし、同じ様に古事記に書いてあったことを理解したのであれば、その前の文章も同じの筈です。

ところは、イザナギ命が禊をしたのは、中河原です。日本書紀が書いたのは、河ではなくて、海の中の瀬で禊をしたと書いています。
そのようなことは、出来るでしょうか。海面でも無く、海の底でも無く、その中間の所で、浮きながら、禊をしたことになりました。
日本書紀の作者は、イザナギ命が左目を洗った時に、天照大神が生れたと古事記と同じ様に書きました。 但し、天照大御神ではなくて、「御」を抜いて、天照大神と記しました。

太安万侶は、天照大御神がやって来たと書かないで、「成れる神」と書きましたから、日本書紀の作者は、「生れた」と書きました。

②長くなりましたので、省略しますが、どのように考えますと、月読命が匈奴に追われて日本にやって来たことになるのでしょう。
天田郡の夜久野がヒントになるらしいです。そして、大江町の伊勢大神宮もヒントになるらしいです。 是非、訪れてください。

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