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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(26)横穴式石室(15) [古墳から探る歴史]

タイトルは「小さな発見・新しい発見」です。今回の元の発見は、滋賀県に延喜式内社が多い事でした。

延喜式内社とは、私にとっては、10年も前から、古い、由緒ある神社であることは分っていました。
 どうして、由緒あるかということは、知りませんでしたが、別の表現をしますと、朝廷から幣帛を受ける神社とされています。
と言うことは、朝廷の存在自体が、権威のあるものだったようです。

式内社の一覧表を作っておきましたから、次をご覧ください。

式内社と祭神
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page809.html

この一覧表を見ていても、なんら役にたつものはありませんが、実際に訪れますと、一言で云いますと、立派な神社が多いです。どのように説明すれば分るかと云いますと、建物が大きい神社が多い様に思います。神社の関係者の方も、自信満々の各式溢れる雰囲気を感じさせてくれます。
 中には、社務所も無くなって建物につっかい棒を添えてある神社もありました。
 しかし、式内社を維持されている集落は、人口が多い様に思われました。

 一泊出来るようでしたら、出来るだけ、式内社の多い所を訪問するようにしました。
 一番大きな発見は、天照大御神を祀る神社は、久世郡の双栗神社  一社でした。
 このことは、いろいろ調べたことを書きましたが、調べてはいけないことだったようです。
 しかし、ただ一人田村誠一氏は、天照大御神を祀る式内社はゼロだと書いて居られましたので、確かめるためにも、式内社詣でを続けています。

上に記しました様に、赤と青に神社を色分けすることが出来ました。

式内社では、天照大御神を祀る神社がない事は、大きな発見でしたが、今回、もっと、大きな発見をしました。

それは、「大津京は存在しなかった」と云う事と、田村氏の著書 第十九話 の「壬申の乱は日唐戦争」は正しかったのだなと思っています。

 現在、書いています第十九話の前は、第十八話になりますが、これが、毎日、一ページずつ紹介しています、「真説 建国史」になります。
 http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page600.html


どのように大きいのかと云いますと、タイトルの滋賀県大津市の古墳・横穴式石室です。普通に考えましたら、別に大きな発見でも何でもありません。小さな古墳ばかりです。ただ、横穴式石室がどのような古墳かを知らなかった私が知っただけの事です。 しかし、その膨大な数は、10個も回ったら、自分の体力がないことに驚きました。 5~6世紀の頃に、このような古墳を1000個以上も作っていたということは、歴史を考え直さなければと思いました。

滋賀県は、式内社が多いので、多い湖北の方から、式内社を廻りました。ところが、私の目指す収穫はありませんでした。

 仕方がないので、湖南の方を探しましたら、式内社が在りません。 そこで、少ない式内社を訪れるついでに、古墳も巡ることにしました。

 あまり古墳は、丁寧に見たことがなかったのですが、あまりにも多い「横穴式石室」が気になって仕方がありません。

先ほど、記しました田村誠一氏が、云われていました 「天智天皇は、大津宮で幽閉されていた」を思いだしました。

この後、第21話~23話まで、三冊の著書が、田村誠一氏の完結編になります。


このような話は、仮に正しいとしても、歴史界では、認められることは無いと思います。
それだけに、「大きな発見」に繋がるのではないかと思っています。

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