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高句麗人が包囲した平安京   74  -106- [真説 建国史]

古事記ではわざわざ近江の日吉神社と嵐山の松尾神社の祭神は、スサノオ命の孫でしかも鳴鏑矢を用いる軍隊だとかいている。この近くの太秦は文字が示す様に秦の始皇帝が先祖だと称する人が住んでいた。古事記は壬申の乱の時に天武天皇が内命され、この時の軍隊は大山咋命を祀った神社の氏子だったことを書き残したのである。 京の賀茂大社の祭神の別雷神はスサノオ命の曽孫の味鉏高彦根命が名前を改めたのだとこれも古事記が注意している。 大山咋命も別雷神も日本書紀には全く書かれていない。不比等はこの二人がスサノオ命の子孫であることは知られたくなかった。そしてスサノオ命の時代は神武天皇より百七十九万年昔の話だと、この二人をスサノオ命とは無縁の人物に仕立てた。 八坂神社はスサノオを祀り、氏子は高句麗人で祇園に住んでいた。伏見稲荷の祭神はスサノオ命の子の宇迦の御魂である。平安京にはこの外に鎌足の先祖を祀った吉田神社と大原野神社があり、天皇の敵一色である。


---私のコメント---タイトルの[高句麗人が包囲した平安京]は、天皇が造った平安京のうち、大極殿などがある所は、当然、天皇やその一族の人が住んでいたことになります。しかし、高句麗人によって包囲されていたと云うタイトルです。

八坂神社、伏見稲荷、吉田神社、大原野神社の全ては、天皇の敵だったと書いてあることになります。
私は別の言葉(延喜式内社)に焦点をあてて、調べましたら、多くの式内社に囲まれていることが分りました。

天皇家にとって、一番きらびやかであり、長く続いた平安時代は、実際には、藤原氏の一番栄えた時代であったと考えていました。

田村誠一氏は、ズバリ、天皇の敵だったと書いて居られます。

せめて、ここに書いてある4つの神社だけでも、精しく調べられますと、いろいろ新しい事が分ると思います。

新しい日本の歴史so で検索して戴きますと、「新しい日本の歴史」ガヒットします。
この左下に検索の乱が有りますから、此処に、「式内社に囲まれた」で検索しますと、ヒットします。
「式内社二囲まれた平安京100」と有りますから、平安京に関して、100回透いたことになります。
その後ろに松尾大社(28)と有りますから、松尾大社だけで、28回書いたことになります。
松尾大社だけでも、周りの神社を調べませんと、松尾大社のことは分りませんので、何度も出かけました。
田村誠一氏は、田村氏は、私以上に現地を訪問して調べておられますから、ここに書かれた事柄は、どこから導かれた事かは、私はには分りません。

「神武天皇より百七十九万年昔の話」は始めて見ました。

それ以上にすごいのは、「高句麗人が包囲した平安京」でしょう。高句麗人と分るところがスゴイですね。

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