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大呂にあった最新製鉄所   76  -108- [真説 建国史]

足名椎と妻の手名椎は製鉄所であることなど分る筈がないから目はほうずきの様に赤く、身にはこけや杉や檜が生えていると形容した。これが八つの谷と八つの尾根を度って腹は血の様にただれていると述べた。  これこそ登窯の煙道が尾根を登って一緒になっていた形容である。たたら式の製鉄だと絶えずふいごを人が動かす必要がある。しかし山の尾根に煙道をはわせば煙突効果で自然通風でよいから人手が不要だ。 ここの製鉄職人も中山王国から渡来したと考えてよい。従って独身でやって来たから妻は略奪する外なかっただろう。 天の岩屋戸事件では天津麻羅を探し出してヒルゼンの南の鉄山の鉄を鍛造して鏡を作った。この天津麻羅は恐らくここで鍛造していたのではないだろうか。 蛇の尾から草薙剣が出たので天照大御神に奉ったとあるのは、これだと神話になる。これは偽証で景行天皇の御世に倭建命が出雲建から取上げた剣こそは草薙剣だったと考えたい。この詳細は後に譲ることにしたい。



-----私のコメント----
こんな古事記の読み方があるのだなと思いました。

「ここの製鉄職人も中山王国から渡来したと考えてよい」
ここの中山王国
はお解りになりましたか。 北京の近くで見つかった。中山王国です。 この人たちは、日本から行った人達だと田村氏は考えておられます。 この王国が見つかって、直ぐに、日本で、【中山王国文物展】が、行われました。 展示された物の写真が豊富に収められたています。 この中にある『黒陶』は日本から伝えられたものではないかと思われます。 この冊子は、10000円だしても値打ちがあると思うのですが、古書店から安く手に入ります。 
 図書館でみられても良いと思います。

上に書かれた製鉄所である山は、現在でもあるはずです。 大呂の近くにお住まいの方は、その山の写真を撮って、送ってください。


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