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稲田姫を祀った稲田神社と須賀神社   77  -109- [真説 建国史]

スサノオ命は仁多郡横田町大呂の製鉄職人を退治すると大原郡須賀に宮を築いて稲田姫を妃にして暮した。このあと再びもとの根の国堅州に舞戻っていた。  横田町には稲田姫を祀った稲田神社があり須賀にも須賀神社があって二人が祀られていた。しかしこの神社は何れも式内社にはなってなかった。 スサノオ命を不比等は神武天皇より179万2400年昔の偶像にしておきたかった。  スサノオ命を偶像の牛頭天王にしたり、蘇民将来の伝承に出て来る武塔神に擬したのである。不比等には実在人物は困るのだ。 スソノオ命はは亡命する時沢山の宮人を連れて来た。この人達はスサノオ命を祀った筈で氏子である。スサノオ命はもともとは漢族に追われて渡来した。このあとに元莵、真番等の漢の植民地が出来たので漢族は宿敵であった。この様な複雑な事情があった。 出雲でも中海と宍道湖の周辺だけが藤原の威力圏で仁多郡は伯耆と隣り合せで天皇勢力圏に属していて式内社は2社に過ぎなかった。
式内社と祭神
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html
 
伯耆の国をクリックしますと、式内社は、僅か 6社です。 式内社が有る集落は、藤原氏の支配下にあった集落ではないかと推察しています。
出雲は、日本では、3番目に式内社が多い国です。支配下にあったというと、聞こえが悪いですが、絹の売買の権利が与えられていましたから、最も、豊かになった集落ではないかと考えています。
その根拠はと云いますと、判りません。
仁多郡は出雲ですが、天皇勢力の強い伯耆の隣りの集落ですから、し式内社は少なくて、二社だと書いてあります。

出雲をクリックして、仁多郡にどのような式内社が有るかを確認してください。


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