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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(120) 壬申の乱(71) [古墳から探る歴史]

このタイトルより以下の文章は、田村誠一著『壬申の乱は日唐戦争』の59ページの文章です。

中国偏向の日本書紀 (7)
 日本書紀の編集者は同俗の中国人が官軍と戦って破れた話は書きたくないのが当然である。日本書紀の崇神紀には各所に「海外の俗」が騒いだと明記され、ある箇所では本国すなはち中国に引揚げたとまで書かれている。編集者が中国人だったことは、日本書紀自体が証拠であった。
 この日本書紀編集の責任者は藤原不比等でなければ矛盾したことにならないか。この人物がすでに天武天皇の実権をはく奪し幽閉していた。天皇の一味は全て好ましくない人物である。この第一にあげられるのが天照大御神で、従って現在の伊勢神宮に移される前に笠縫にあったと所在を不明にした。笠とは丹波の加佐郡で大江山の伊勢大神宮に該当する。
 次に好ましくないのは天照大御神に平和交渉で国を譲った大国主命である。紀では国譲りで入人自殺に見せかけ、出雲大社は抹殺してあった。第三は神武天皇の義父にあたる大物主神で、現古事記では伯耆に渡来した時にこの人物名を抹殺したために、記述としては異常である。



私からの一言
上記の「大江山の伊勢大神宮」は、元伊勢内宮:皇大神社のことです。
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/motoisenaikuooe.html


この神社には、厖大な神さんが、祀られています。 この神は、古事記に登場する神々です。 どうして、これだけの多くの神が祀られているか、解明されるべきだと思います。

田村誠一氏は、古事記を書いた人達が、どこからか移動してきて、「大江山の伊勢大神宮」
の所で、生活を始めたのだと推理して居られます。では、どこからやって来たかと云いますと、
蒜山高原からやってきたのだと・・・・。蒜山高原には、一つの神社で、これだけの神をお祭りする神社は有りません。しかし、蒜山には、古事記に書かれている神を祀る神社が揃っています。

 次のページの前後に書いています。
 日本大好きNo120 高天原はヒルゼン高原だった 
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2007-07-09
 No4までありますから、移動して、ご覧ください。

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