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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(122) 壬申の乱(73) [古墳から探る歴史]

 このタイトルより以下の文章は、田村誠一著『壬申の乱は日唐戦争』の61ページの文章です。

中国偏向の日本書紀 (9)
 崇神天皇の御世が魏志倭人伝の時代である。この天皇がおられた大和を包囲していたのは高句麗人だった。このため天皇の代行として伯母の夜麻登登母母曽姫が備前におられた。
この備前の北の美作の久米郡が、神武東征で活躍した久米のつわものの本拠地で、狗奴国と魏志倭人伝に書かれ、ここの王が崇神天皇の義弟の日下坐王である。
 丹波の伊勢大神宮を拝き祭っていたのは、古事記で崇神天皇の妹だと明記されている。従ってこれらの天皇一族は、不比等に取って最も好ましくない人物だ。日下坐王は仮空の丹波道主命を登場させていた。
 夜麻登登母母曽姫は、倭トド百襲姫と、百人も襲った名前に替え、夢に大物主神を登場させて神話的結婚をさせている。更に手がこんでいるのは、この姫が自殺したかの印象を与える作文を行っていて、この姫ではなしに倭トド姫が自殺し箸墓に葬られたと記した。
 この倭トド姫も開化天皇の妹で仮空の人物だった。崇神天皇一族は、魏軍を破った好ましくない人物で日本書紀は抹殺したのだ。


私からの一言
 読まれてお解りになられましたか。私はチンプンカンプンなので、
夜麻登登母母曽姫がおられた備前に行ってきました。 そして、備前の北の美作にも行ってきました。
 そして、11もある龍王山を全て、見てきました。
竜王山を検索しますと、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、

竜王山(りゅうおうさん、りゅうおうざん)という名称をもつ山は瀬戸内海沿岸を中心に各地にある。その名は八大竜王、すなわち水・雨をもたらす竜王を山頂に祀り、いわゆる雨乞いを行う山の意が込められている。
地図上の地名に現れないが、竜王(龍王)山とも呼称される山も多数ある。これは雨乞いの際には、煙を起こすなどの祭祀行事を行うため、天に向かって高く聳える山がその条件を満たすことになり、極論すれば集落ごとにそれを呼称する山があってもおかしくはない。 山岳信仰の対象でもある。
と記されていますが、此の山の周りには、かっては、中国人の人が住んで居られたのではないかと思いました。
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E7%AB%9C%E7%8E%8B%E5%B1%B1全国にある竜王山を調べますと、この私の仮説は立証出来るのではないかと考えています。

 次の記事は私が書いた記事です。
岡山県の龍王山
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-11-18

歴史の解明には、歩くことが重要です。
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