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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(123) 壬申の乱(74) [古墳から探る歴史]

日本書紀は、中国寄りの記事が書いてあると田村氏は、9回にわたって書いてこられました。 それをそのまま、拝借して、書いてきました。
 毎回、難しかったと思います。その所為かどうか解りませんが、始めに較べて、アクセスされる方が半分になりました。

 日本の歴史を考える時に、やはり、証拠になるものの、大部分は、どこそこに書いてあると証拠になるものを提示して、考えを進めて行くことになります。

 所が、田村氏は、日本書紀に書いてあるからといって、まるっきり、信用しては駄目だと、述べておられます
 そして、出版された本が、『壬申の乱は日唐戦争』です。 この本の始めの3ページから、ずっと、続けて、転載した記事を紹介してきました。現在は、61ページです。

 この『壬申の乱は日唐戦争』を発行された時は、昭和59年11月です。

 この頃は、大津に、大津京がある様に思われます。次の本に、その研究成果が書いてあります。

考古学ライブラリ  27 「大津京」  林 博通著  59年9月発行

この方は、文化財保護協会調査部長 で、53年発行の著書
 さざなみの都 大津京

を出版されています。

もう一冊、紹介します。タイトルには、大津京の言葉は有りませんが、

【よみがえる湖都】 大津の宮時代を探る 田辺昭三氏  58年12月 発行

1974年 奈良大学教授
京都市埋蔵文化財研究所調査部長(1978年以降)


お二人は、発掘される時は、時には、御一緒に仕事をされておられた様に思います。

滋賀県は、厖大なお金を掛けて、次々見付かった遺蹟の発掘をされました。その発掘に携さわられたお二人は、大津京は、殆ど、存在したという感触を持たれて、58年に本の形にされました。

 林 博通は、少し遅れて本を出版されましたが、大津京の存在は、少し、自信の無い内容になりました。

 私は遺蹟の発掘に関する知識は 全くありません。又、歴史のことも興味が有るのことですが、お二人の本を読みましたら、大津京は無かったのだと思う様になりました。

 5行目から私が書きました文をもう一度書きます。

日本の歴史を考える時に、やはり、証拠になるものの大部分は、どこそこに書いてあると証拠になるものを提示して、考えを進めて行くことになります。

 なんだか変な文章ですが、大津京は、無かったことを次回から書いてみようと思います。

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