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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(125) 壬申の乱(76) [古墳から探る歴史]

 大津京があったと云う研究は、大津の研究者以外は、研究はされないだろうと思いこんで、どのような研究があるかを考えました。

 前2回に紹介しました通り、
 実際に大津宮を発掘されました
林 博通、田辺昭三、松浦 俊和のお三人の著書を紹介しました。

林 博通著 さざなみの都 大津京の始めの部分をそのまま、紹介します。

一章 大津京前史
 歴史の裏舞台近江
 青く澄みわたった空と満々と碧水をたたえる湖、この青と碧との空間に,それらを裂くかのごとく横たわる比良や鈴鹿の連山、そうして蝶のように舞い動く白いヨット、湖岸に打ち寄せるさざ波にさやさやとそよぐ葦の葉。近江ののどかな春の風情である。
 一見何事もなかったようにたたずまうこの大自然も、往古よりそれぞれの時代に必死に生きてきた人々のいきざまを、そしてその栄枯盛衰を奥深く刻み込んでいるのである。
 一見何事もなかったようにたたずまうこの大自然も、往古よりそれぞれの時代に必死に生きてきた人々の生きざまを、そしてその栄枯盛衰を奥深く刻み込んでいるのである。平氏を打って京に入り、一時は天下をとった木曽義仲も粟津の湖畔で敗死した。また、奈良時代、淳仁天皇の信厚く
権力をほしいままにした藤原仲麻呂(恵美押勝)も弓削銅鏡の台頭により乱を起し、湖畔で露と消えた。さらに、壬申の乱により英明のほまれ高き大友皇子も大津宮とともにはかなく散ったのである。

タイトルの一章 大津京前史は、表紙のタイトルの「さざなみの都 大津京」の大津京が存在したことを記しますと宣言して居られます。

 始めの三行は、毎日のようにひたすら、土ばかりを掘り続け、大津京の存在を信じて、考古学からその証拠を見つけようと、発掘を続けられた林 博通さんが、発掘の合間に、周りを眺められた時の景色が書かれています。

 その後は、考古学だけではなくて、この地で、亡くなって行った人達の歴史を頭に描きながら、発掘を続けておられる様子が書かれています。

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