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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(132) 壬申の乱(83) [古墳から探る歴史]

 前回、大津市の錦織二丁目一帯で、大津宮の施設と思われる遺蹟が全部で8ヶ所で見付かったことを記しました。
 これらの発掘や、JR湖西線建設に伴って、発掘された事業は、国が厖大なお金をかけて行ったことが判っています。
 全てではありませんが、次の所で見ることが出来ます。
 錦織・南滋賀遺跡発掘調査概要 1
http://sitereports.nabunken.go.jp/2106
8ヶ所では、大津宮のものと思われる遺物が見つかったのですが、弥生時代の土器も見つかっています。
 ということは、滋賀里~南滋賀~錦織の間は、古くから人が住んでいたことになります。

もう一つの証拠は、タイトルに書きました「滋賀県大津市の古墳」です。この地域だけで、確か、1000個を超える古墳が有ります。
 私の場合は、こちらの古墳を歩く事に依って、住んでいた人を調べて、大津京のことを考えることに至りました。

この古墳は、唯の古墳ではありません。
百穴古墳群と呼ばれているものです。山の斜面にありました。その傾斜の強さには、体力の限界を感じながら、歩きまわりました。又、二回にわけて歩きました。

http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/hyakketu%20kofungun.htm

弥生時代の土器の人達と百穴古墳群の主達とどのような関係があるのかは解りませんが、壬申の乱を戦った人達とも関係が有るのではと思っています。

 田村誠一氏は、壬申の乱は、[日唐戦争]だったと言っておられます。

田村誠一氏の著書
http://mino-sigaku.la.coocan.jp/page600.html

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