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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(137) 壬申の乱(88) [古墳から探る歴史]

前回の記事は、お読みいただいても、お解りにならないだろうなと思っています。少なくとも、大津京に関する歴史の学界は、大混乱の時代だったようです。

 日本書紀の天智六年(667)、三月一九日の条に、「都を近江に遷す」という記事があります。しかし、日本書紀には、大津京という字は使われていません。
日本書紀 天智天皇五年に次の記事が有ります。

是冬、京都之鼠、向近江移。以百濟男女二千餘人、居于東國

この記事の「是冬、京都之鼠、向近江移」の部分の意味が判りません。 これは私だけではなくて、昔の人も、意味を考えられました。


日本書紀に「鼠」と蔑まれた九州王朝と八面大王説話の真相
http://blogs.yahoo.co.jp/rich036kit/11859448.html
日本書紀岩波版の注は、
「北史巻五・魏本紀」に「是歳二月、・・・群鼠浮河向鄴」とあって、鄴への遷都の兆としている、と述べている。日本書紀の「鼠が移動する」記事は北史に倣った表現をしていると解説している
 他の書物に依れば、中国の歴史資料にも、「鼠」が登場します。

 このように考えてきますと、日本書紀は、中国人によって書かれたのではないかと疑っています。

 そこで、もう少し、日本書紀に、「鼠」の話は無いかと調べましたら、ありました。
日本書紀の孝徳紀には「鼠」を含む文章が五回出ています。
①「老人等相謂之日、自春至夏、鼠向難波、遷都之兆也」  (大化元年冬十二月条)
②「越国之鼠、昼夜相連、向東移去」         (大化二年是歳条)
③「数年鼠向東行、此造柵之兆乎」          (大化三年是歳条)
④「鼠向倭都而遷」               (白雉五年春正月朔条)
⑤「老者語之曰、鼠向倭都、遷都之兆也」      (白雉五年十二月条)

びっくりです。孝徳紀だけで5つもありました。 日本書紀の作者は、どうしても、遷都したことを書きたかったことに成ります。
①は大化元年です。
大化元年とは、
『日本書紀』によれば「天豊財重日足姫天皇の四年を改めて大化元年とす」と記され、皇極天皇4年6月19日(ユリウス暦645年7月17日)の孝徳天皇即位のときから実施された。

これまでは、日本では元号は無かったのですが、始めて使われるようになりました。
私はこの時が、中国に征服されたのだと考えています。

すでにあった天豊財重日足姫天皇の四年を大化元年に改めたと、日本書紀に書き残しています。
ということは、天豊財重日足姫天皇は、中国人のロボットに成られたと考えます。

この時に、中国のやりかたに従って、京域を定めて、日本で、第二の中国帝国を造ろうとしたのではないでしょうか。

 しかし、天智天皇5年になっても、まだ、大津京という名前は、日本書紀には書けなかったのだと思います。
 そこで、

 是冬、京都之鼠、向近江移。以百濟男女二千餘人、居于東國
の記述に成ったと思われます。








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