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絹戦争(10)  - 日留山人氏 - [日本の歴史]

ヤマトタケルが東征した時のルートは〝大日本読史地図〟に6—7に示されている。
 新治、筑波、香取と征めて進まれた。これも中国人の占領地の地名を考える時、目的がハッキリしたのである。
 地方に豪族が居ったと古代史に書かれている。この豪族とは全て、中国人だったのである。
 神武天皇に恩恵を受けた人を、中国人が心配して、絹をつくらせた。従って豪族すなはち中国人のボスを、ヤマトタケルは、一人でも征伐出来たのである。
 天皇とは何か。いかに日本全土に御稜威が行き渡っていたかを、考え直して見ることだ。
 この関東の計略は重要である。再び中国軍に占領されない軍備が必要である。
 古事記で崇神天皇の、第一王子、上毛野君、下毛野君の祖と書かれている。君とは君子の君である。崇神天皇としては、大和よりも関東を重視したことは、明らかである。
 なぜ両毛を重視したかの理由は、絹が日本の生命線だったためである。

第13話 建国の日は正しかった  77ページ より

私から一言--〔古事記で崇神天皇の、第一王子、上毛野君、下毛野君の祖と書かれている。〕
   古事記に書いてあるとありますが、日本書紀にも書いてあります。 日留山人氏から、読者に注意するようにというメッセージでしょうか。 古事記では、小さい字で書いてあります。


上毛野君
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%AF%9B%E9%87%8E%E6%B0%8F#cite_note-古事記_崇神天皇-9

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