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絹戦争(12)  - 日留山人氏 - [日本の歴史]

日本書紀の崇神天皇の御世の出来事は、わざわざ年代をチグハグにさせて、欺くように書かれていたことは、既に述べておいた。
 古事記と日本書紀は、崇神天皇の記事を見る限りでも、共通点は全く存在しなかったのである。記紀の言葉は不穏当である。
 更に既に述べたが、奈良市の一部を除いて、周囲は全て魏の軍隊に占領されていた。記録を戦時下に、つけられただろうか。
 後世何々天皇の時にどんな事件があったかは、言い伝えは残る。まして戦争である。
 吉備や大江山の、鬼退治の伝説は残らない方がおかしい。ついでだが、ヒルゼンには、昔高天原だった伝説は残っていたのである。
 日本書紀に南朝鮮に任那国が、日本の属国としてあったと書かれている。 
173年に卑弥呼は新羅に親善使節を遣った。恐らくこの時以来、中国の占領軍に朝鮮南岸を使用させないため、日本は軍隊を駐屯させていただろう。朝鮮の正史には、取られたことは載せないのが常識である。



第13話 建国の日は正しかった  79ページ より
私よりの一言---〔173年に卑弥呼は新羅に親善使節を遣った〕以外、何ひとつとして、正確な資料はありません。
〔古事記と日本書紀は、崇神天皇の記事を見る限りでも、共通点は全く存在しなかったのである。〕 この部分は、日留山人氏が思われただけです。
 それでも、全体に書かれていることは、認めなければ仕方がないでしょう。

ただ、古事記と日本書紀は、一緒にして、「記紀」と呼ばれていますが、全く異なる歴史書だと思います。


日本書紀(平安時代の写本)
ウィキペディアによると
『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。
と記されていますが、本当に、正史でしょうか。
古事記は、序文に太朝臣安萬侶が記したと思われる文章が書かれています。
①書いてある理由を確かめて下さい。
②書いた日は、和銅五年正月廿八日です。 これは、712年になります。 又、古事記の完成した日と思われます。
③日本書紀の完成は、720年ですから、古事記が完成した712年から8年後に、完成したことになります。
 両書の完成した日は、8年の差が有ります。若し、古事記が完成してから、日本書紀の制作をしたとしますと、同じ、日本政府が制作にしては、少し、可笑しいです。
古事記には、一杯間違いが有るから、作りなおしたのでしょうか。

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