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絹戦争(13)  - 日留山人氏 - [日本の歴史]

魏志倭人伝では、「郡より倭に至るには、海岸にしたがいて水行し、韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し、その北岸狗邪韓国に至るまで7千里」と書かれている。
南朝鮮で北岸と書かれていることは、チエをしぼって見ることだ。
狗邪韓国とは、イヤガラセの国名である。日本の国名には全て、下卑なアテ字をしてあったのである。
久米国には狗奴国、ヤマトには邪馬台(壱)となっていた。この二つの日本の代表国名の一字づっ取ってある。
狗邪韓国とは、韓にある倭国と解して、よいのではないか。
北岸となっているが、任那国のあつた所は現在の釜山付近だから、朝鮮の北岸ではなくて、倭国の北岸又は北限と解したいのだ。
魏志倭人伝の、倭と韓の記述を較べるだけで、任那国が倭国だったことは、証明がつく。
国が倭と境を接していたと、書かれている。
 従ってこの倭国とは狗邪韓国を指していたのである。陳寿はさとられぬ様に書いたのだ。


第13話 建国の日は正しかった  80ページ より 引用。


私からの一言
 「絹戦争」とのタイトルで、13回目と成りました。聴きなれない言葉です。しかし、
日留山人氏は、絹を介して、日本と韓国は、戦争状態になっていたのではないかとの推理を書いて居られます。

こんな歴史を書いた人は、見つけたことが有りません。


参考文献 
魏志倭人伝の狗邪韓国とは
邪馬台国は存在するのか
https://www.nozawayu.com/yamataikoku/yamataikoku/kunakankoku.html


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