SSブログ

古事放談  2-1  日留山人 [日本の歴史]

魏志倭人伝は先づ大局から眺めて見ることだ。ここに14万戸すなはち少く共200万人の風俗習慣が海南島人と同じだと書かれていたのである。
 日本人は中国人とも韓国人とも異なると、これを中国人が発表したのである。日本人は前漢の武帝に圧迫されて雲南(広域) から河を降って来たと考えてよい。
 河を降れる船は木造ではない。ヤク牛の皮で作った底の平らな船である。これならゴムボートと同じで、季節風を利用すれば東シナ海を一両日で九州に渡れる。
 次に魏との航海は後世の様な危険なものではなかった。これは一般の中国人が日本各地にも来られた証拠である。
 雲南から渡来した上記の200万人を超える日本人と中国人の間に平和共存や混血があり得ただろうか。
 雲南人も中国人も海の交通を得意にした人達である。海を考える時九州から日本海を津軽までの距離は、洛陽から吸収までの航路の半分に過ぎないのである。


古事放談  2-1 35頁より引用


私からの一言
「日本人は中国人とも韓国人とも異なると、これを中国人が発表したのである。日本人は前漢の武帝に圧迫されて雲南(広域) から河を降って来たと考えてよい」

中国と日本の資料を混ぜながら、新しい歴史を考える方法は、どんどん、利用されてよいと思います。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。