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古事放談  2-2  日留山人 [思うままに]

古代の航海を現代人の間隔で考えるから謎が生じるのである。砂漠を西域まで旅行するにも大洋を航海するにも、最も大切なことは方向感覚である。
 魏志倭人伝を書いた陳寿が方角や距離が間違っていると、万人が述べて居る。陳寿が方角や里程を間違うことは何を根拠にしたのだろうか。
壱岐から九州には黒潮で考えれば、博多湾に先づ来ることが常識ではないか。末廬国を松浦湾、伊都国を糸島 (古代には半島ではなかった) に想定した人達は地形や冬の猛烈な風浪を考慮に入れられたのだろうか。伊都国には郡使が常駐出来る環境があっただろうか。
陳寿は狗邪韓国から対馬、対馬から一大国 間には方角が書かれていたのに、壱岐から次コースにはこの場合こそ方角が必要なのに、記入されていないことに注意を払われたのだろうか。卑弥呼は衆を惑わすと書いたが、倭人伝は敗戦記録だから、中国人を陳寿は惑わす必要があったのである。


古事放談  2-2  36頁より引用


私からの一言
「魏志倭人伝を書いた陳寿が方角や距離が間違っていると、万人が述べて居る。陳寿が方角や里程を間違うことは何を根拠にしたのだろうか」

 この記事書いていると、日留山人氏は書いて居られます。

それだけではなくて、「卑弥呼は衆を惑わすと書いたが、倭人伝は敗戦記録だから、中国人を陳寿は惑わす必要があったのである」と記しています。

卑弥呼は衆を惑わしたのではなくて、中国人の陳寿が惑わしたのだと記して居られます。

こんなに、原文を勝手に解釈しても良いのでしょうか。


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