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古事放談  2-3  日留山人 [日本の歴史]

倭人伝には日本だけではなくて高句麗等の北鮮の国々と南鮮の里の単位が同じでは不都合を生じる。 
 陳寿は衆を惑わすために、漢と壱岐までに漢の里の単位すなはち1里を80米を採用している。
 これ以外は魏の本国の単位すなはち 1里は440米を採用した。更に帯方郡から邪馬台まで1万2千里は韓の単位で従って960粁でよかったのである。
 九州は魏の植民地だった。従って九州に寄港したことは当然である。寄港すればここは魏の基地だと書かざるを得ない。
 しかし魏は大敗して九州は景行天皇によって征伐され失った。従って記録に残す事ができなかったのである。
 神武天皇から崇神天皇まで何も事象が書いてなかったから、この間は天皇は無かったと日本の学者は発言しておられる。何も書いてない時代こそ大事件があったと考えるべきだ。
 書きたくても書けないことが多いのである。


古事放談  2-3 37頁より引用


私からの一言
 このページは凄いことが書いてあります。
①「倭人伝には日本だけではなくて高句麗等の北鮮の国々と南鮮の里の単位が同じでは不都合を生じる」

②「陳寿は衆を惑わすために、漢と壱岐までに漢の里の単位すなはち1里を80米を採用している」-----このことは、以前に書いて居られます。

私は魏志倭人伝を自分で読んだことがありません。 
 ①と②のことが正しいとしますと、以下の分析は、正しいことになります。

逆に、「陳寿は衆を惑わすために、漢と壱岐までに漢の里の単位すなはち1里を80米を採用している」という日留山人氏の仮説は、正しいことになります。

③「神武天皇から崇神天皇まで何も事象が書いてなかったから、この間は天皇は無かったと日本の学者は発言しておられる」

この記事は、日本のどの学者が云われているか、調べたことは有りませんが、「神武天皇から崇神天皇までの天皇は実在しなかったという記事は、どこかで読んだ記憶は有ります。

 このような頼りないことでは駄目だと思います。
しかし、最近、私のボケ加減が酷くなったなと、自分でがっかりすることが多くなっていますから、忘れない様に、書きとめようと、思っています。-----駄文で済みません。


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