No303 伊勢神宮の位置(2) [日本大好き]
はじめに、内宮が作られたのは、斎宮の近くであったのではと推察しました。ただ、近くではなく、大江町の皇大神社の近くの日室山と三重県の神島を結ぶ直線上に造られたのではないかと考えています。
ということは、両方が重要な所であったのではないかと考えています。
No300において、日置氏のことを書きました。この時は、北緯34度32分上に、多くの遺跡や神社・寺院が並んでいることを書きました。そして、その中に美杉村があることを書きました。大江町と三重県の神島を結ぶ直線上にも美杉村があります。
この二つのことから、この二つの直線を測量したのは、同じ日置氏ではないかと思っています。
大江町と三重県の神島を結ぶ直線上は、太陽が移動の様子を測量したものと思われます。
夏至の日に、朝、斎宮から東を眺めますと、三重県の神島の上に太陽が昇るそうです。同じ日に、大江町の皇大神社の西にある日室ヶ嶽の上に太陽は沈むそうです。
この日室ヶ嶽は、南にある集落の方から見た写真です。「元伊勢参社・日室ヶ嶽」の写真1と写真2の方がきれいです。
この二枚の写真は、ほぼ、90度の方向から写したものになっています。写真1は、遙拝所と書かれたところからの写真です。この裏側は、どのようになっているか判りませんが、人為的に形を整えたと思っています。この山は、アマテラスのお墓だという伝説があるそうですが、証拠はありません。そのために、遙拝所なるものが造られているのだと思います。
皇大神社は、日室ヶ嶽の東に造られたことになります。神社がありますから、宮山と呼ばれています。神社は日室ヶ嶽と三重県の神島を結ぶ直線上に造られたことになります。
日室ヶ嶽は別名、城山とも呼ばれているそうですが、日本中にいっぱい城山があります。別にお城があるわけではありませんが、城山と名付けられていることがあります。近年になって、山城があった例もありますが、殆ど、その記録がありません。このようなときには、基準(目印)になった山だ考えています。
基準になったということは、近くの山から見えることが条件です。城山から北西の位置に883mの大江山(千丈ヶ嶽)があります。この辺りでは最も高い山ですから、西からやってきますと、大江山も目印になると思います。鳥取の大山と大江山はほぼ、緯度が同じです。
日室ヶ嶽と伯耆の高千穂(ニニギ命が高天原から降臨したところ)は、同じ緯度です。
古代には、地図はありませんが、どのような遠いところでも、間違いなく移動できるように城山を造ったと推察しています。城山は、普通はどこからでも見えるような位置が選ばれたと思います。本当かどうか、全国規模で確認する必要があります。
もし、正しいとしますと、この城山には、狼煙台があり日置の誰かがいつもいたのではないでしょうか? 日室ヶ嶽に近い日置集団は、夜久野町にあったと思われます。(現在もあります)
このようなものがあったとして、私は通信施設と呼んでいます。
伯耆の高千穂から、狼煙を使いますと、日室ヶ嶽まで、10分もかからないで連絡出来たと思います。
この城山(日室ヶ嶽)を元にして、他のところに又、城山を設けたり、施設を造ったと思われます。
その一つが、伊勢神宮だったと思われます。 ただ、はじめは、現在の斎宮跡の近くに造営し、その後、理由は判りませんが、現在の鎮座地に移したと思われます。
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