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No467天孫降臨(40)  星の神・香香背男(3) [日本大好き]

No465において、香香背男命を祭る神社を見て頂きました。神社の名前には、星宮神社とか、星神社のように、「星」が使われています。
 これは、瓊瓊芸命が高千穂に遷都する時に、降参しなかったのは、星の神、香香背男だけだったと日本書紀に書いてあったからだと思います。
 星の神と断ったということは、ダビデの星の国から渡来した人物だと考えてよいのではと思います。
 従って、ユダヤ商人で、美作の久米郡では、この人物は天香香背男の名前で複数の神社に祭られ、同一人物で実在していたことが分ります。
 天香香背男を祭った神社が久米郡に多くて、錦織など絹に関係がある地名も沢山あります。天香香背男は美作の絹を東郷湖から、雲南を経て西域に漢に妨害されないルートで運んでいました。そして、見返りに軍資金を天神に渡し苗族入植のガイドも行っていました。

 大物主命は大国村倭の東の山、すなわち大山の大神山神社に祭られました。この場所は大国村の北にある御崎(三崎)と諸木を結んだ一直線上にあります。 古事記で御諸の山の上にまします神と書かれたのは場所を分からせる古代人の知恵でした。
 古事記で特別に神の子と云われた人物がイスキヨリ姫とオオタタミコで、イスキヨリ姫の父親の大物主命が特別に神と呼ばれた星の神です。イスキヨリ姫は三島の溝咋姫と大物主命の間に生まれ、溝咋姫は岸本町大殿の上野・三島神社の祭神です。
 崇神天皇の御代に疫病が流行した時に、大物主命が崇神の夢枕に現れて、先祖のお祭りをせよと、お告げがありました。この時大物主命の子孫のオオタタネコを伯耆の日野郡から探し出して、淀江町の隣の大和村の三輪神社で、先祖の大物主のお祭りをしました。

上野・三島神社や大和村の三輪神社などは、書物などの資料では良く理解できませんが、:現地を訪れてください。本当に神社があります。どうして、これほど、古事記に書いてある神が、すべて揃っているのかと云いますと、稗田阿礼らが、これらの土地を訪れ、それらを元にして、古事記を書いたと考えるしかありません。

「大物主命は大国村倭の東の山、すなわち大山の大神山神社に祭られました。この場所は大国村の北にある御崎(三崎)と諸木を結んだ一直線上にあります。 古事記で御諸の山の上にまします神と書かれたのは場所を分からせる古代人の知恵でした」と書きましたが、これは、田村誠一氏が見つけられたことです。
 ここに出てくる地名は、現在の地図でも確かめることができます。地図を広げて確かめてください。季節は良いですから、車で訪れて頂きますと、実感できます。

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