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歴史各論  勾玉(39)  勾玉製造元(28)ヒスイ製勾玉(18) 湯迫車塚古墳 [日本大好き]

備前車塚古墳  http://kouminkan.city.okayama.jp/takashima/shiseki/ssk22.htmlによれば、次のような特徴があります。
①前方後方墳としての外形
②県内最古の備前車塚古墳
③副葬品は、三角縁神獣鏡11面(うち9面は同范鏡)平縁の画文帯神獣鏡1面、後漢時代の内行花文鏡1面計13面。
④ 石室は、墳主軸に直角に築かれ、全長約5.9m幅1.2~1.3m高さ1.5m、割り石を送り積みにし、さらに控え石を充分に配し8枚の蓋石でおおわれていた。

備前車塚古墳〕ここに古墳が造られている位置が写真で示されています。

 全国の古墳を調べたのではありませんが、山の頂上に古墳を造るのは珍しいのと、前方後方墳は、資料を集めている最中ですが、中国人の古墳に多いのではないかと考えています。

 次のページの方は、神武東征の折に、吉備にあったとされている高島宮が、竜之口山の麓にあったことの紹介をしておられます。
 吉備高島宮
http://17.pro.tok2.com/~kmlife/it-town/minamishinogoze/rekisi/rekisisabu-b/kibitakasimaguu/takasimaguu.htm

国土地理院の地図をご覧ください。 新幹線、山陽本線の辺りは、海抜4mですから、神武東征の折は、ここが海岸線だったと思われます。
 備前車塚古墳に葬られた人は、平縁の画文帯神獣鏡1面、後漢時代の内行花文鏡を上部組織から貰って、この地にやって来たと思われます。
 神武東征で、岡山県を支配していた中国人は、一掃されたが、その後に、勢力を取り戻したのが、備前車塚古墳に葬られた一族の人ではないかと思います。

②に、県内最古の備前車塚古墳と書いてありましたが、最古ではなくて、最後の将軍ではないかと考えています。
 次回に続きを書きます。 

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