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歴史各論 三角縁神獣鏡(101)魏志倭人伝(52) 邪馬壹国は、何所に(48)邪馬壹国(7) [三角縁神獣鏡]

日本書紀では、天皇の享年を高齢に書いてあるのに、誰も、おかしいと思わなかったのは、紀元前後には、120才ぐらいの人は、大勢いたと考えるしかないと書きました。

その2は、日本書紀に細工をしただけではなく、古事記にも改ざんを加えたからではないかと思います。では、古事記のどの部分に改ざんをしたのかと云いますと、膨大すぎて判りにくくなっています。
日本書紀に細工をした部分は、判り易いです。「一書に曰く」と書かれた部分です。古事記に書かれている部分を、いくつかの「一書に曰く」に分けて書き改めています。
日本書紀の形式は、日本書紀以外に、当時、存在した書物には、次のように書いてありますと、多いときには、10冊ぐらいの書物から抜粋したように書いてあります。不思議なことに、古事記と同じものは一切見ることは出来ません。
日本書紀では、不思議なことに、読み方は古事記と同じなのに、漢字はすべて、読むことが出来ないような難しい漢字が使われています。

田村誠一氏は、「神話にすぎない日本書紀」のタイトルで、6回に分けて書いておられます。
私の【楽しい人生】http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/03/1-d07d.html
に掲載していますから、読んでください。

古事記を改ざんした部分は、「神話にすぎない日本書紀(3)」に於いて、次の箇所だと書いておられます。
日本書紀と古事記とで、記述が矛盾していて、しかも完全に一致した天若日子(天雅彦)を葬った場所である。この場所は両書共「美濃の藍見河の河上の喪山といふ山なり」と書かれている。

意味はお分かりですか。お葬式が行われた所は、高天原から下った所なのに、「美濃」になっています。

 きっと、理解出来ないと思います。高天原は、ヒルゼン高原だったのに、古事記を参考にして、日本書紀を制作する時に、意味が不明になるように、製作しましたから、歴史の学者も全員騙されることになりました。
 高天原は、歴史学者だけではなく、日本人、全員が、宮崎県の高千穂という山の天上にあるとしておられます。
 山の上と云いますと、宇宙ということになります。

 日本書紀を編纂した影の責任者は、藤原不比等だと思われます。712年に発行された古事記は、悉く、没収したと思われていましたが、若し、どこかに残っていたのでは、天皇家は、日本の正当な支配者であったことが判ってしまうので、古事記に書いてあることは、間違っていると思わせる細工をしたと考えています。
 ところが、実際には、古事記は、残っていなかったのではないかと推理しています。その古事記が、どうして、400年も後に発見されることになったか、判っていませんが、発見された古事記を眺めていますと、不備なところを見付けたのではないでしょうか。右近衛大将藤原朝臣が手を加えることとなります。
 古事記の改ざんされた所は、「神話にすぎない日本書紀(3)」以下にも、書いてありますから、ご覧ください。

以上、2回にわたって、日本書紀が作られて以降、どうして、だれもが、騙されてしまうことになったかの要因を二つ挙げて見ました。

 次回は、本当に、紀元前後には、120才ぐらいの人は、大勢いたという推理が、どうして、そう思うことができるのかを書いて見ようと思います。

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