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歴史各論 三角縁神獣鏡(110)魏志倭人伝(61) 邪馬壹国は、何所に(57)邪馬壹国(16) [三角縁神獣鏡]

タイトルと関係ないことを書いています。
 前回にも書きましたが、夜麻登登母母曽姫は、変な名前だと思われるでしょうが、変なことは有りません。夜麻登で生まれたか、住んでおられた登母母曽姫です。
 古事記では、夜麻登-登母母曾毘売命と記されています。
卑弥呼は、崇神天皇の妹です。崇神天皇と夜麻登-登母母曾毘売命の関係は、
次の系図でご覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E8%BF%B9%E8%BF%B9%E6%97%A5%E7%99%BE%E8%A5%B2%E5%AA%9B%E5%91%BD
(系図は拡大してみてください)
崇神天皇と夜麻登-登母母曾毘売命は、70年の差は有りそうです。この頃ら様子を次の所に書いていますから、興味がございましたら、読んでください。

【開化天皇と夜麻登登母母曾毘売命の死亡】
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page1022.html
 
夜麻登-登母母曾毘売命は、大和朝廷の仮の事務所の取締役だったと考えています。
 崇神天皇は、もっと、安全な所に住んでいました。
 
 この辺りに登場された天皇は、4代ほど、住んで居られたのではないかと推理していまするご自分で、計算してください。ヒントは、崇神紀5年は、多くの人が死んだときです。192年の出来事です。
 夜麻登登母母曽姫のほかにも、二人の天皇が、同じ時に亡くなられたと考えています。

 前回の続きです。
 NHKで放映された【天空の棚田に生きる】を見ていて教えられたことは、ハニ族の人は、文字を持たなかったこともありますが、只管、毎年同じことをして来たと云われました。「毎年、同じことを繰り返しすることが、我々の生活の全てだ」。これは、長生きをしていたことの証ではないかと思っています。
 現在の私たちの家族は、一時、3代が生活していましたが、父も母も93才でなくなりました。長生きですね。もう、8年前のことになります。その後、8年間は、親子3代で生活していましたが、先日、娘が結婚し、現在、夫婦二人です。
 今、私は、家内に一人になった時に、一人で生きていく知恵を、一年前から授けています。例えば、下痢をしたときは、どうするか。直ぐに、お医者さんに行かないで、食事はとらないで、寝る。熱が出て、しんどいときは、解熱剤を使わないで、お風呂に入って、温かくして、寝る。あまり、心配の時は、お医者さんに行ってもいいが、早く治る代わりに、完全に治るには、4日で治るのが、長引きます。
 家が古いですから、あちこちに隙間ができて、寒いです。殆どの戸は、、力を入れませんと動いてくれません。 敷居をローソクでこすりますと、フスマもガラス戸も、すらすら動いてくれます。
 新聞記事は、どの様に読むかです。新聞記者は、読者の心をどきりとするようなことばかり書きます。真面目に新聞を読んでいますと、心臓に負担が掛ります。
 
 親子3代ではなくて、親子4代が、常に一緒に住んでいますと、同じ生活を続けていくことは、難しくありません。

 私の馬鹿話は如何でしたか。4代が一緒に住んでいるだけで、家族は安心して生きていくことが出来ます。
 
では、どの様な、毎年、同じことを繰り返しするのかは、下手な文章では、お伝えできませんが、次回に書いて見ます。

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