SSブログ

歴史各論 三角縁神獣鏡(111)魏志倭人伝(62) 邪馬壹国は、何所に(58)邪馬壹国(17) [三角縁神獣鏡]

NHKで放映された【天空の棚田に生きる】を見ていて、不思議に思うことは、田に張られた水です。
 日本ですと、私の知っている棚田は、池が造られています。普通に低い所に作られた水田には、近くの川から引き込んであります。ただ、大きな川から水を引き込みますと、大雨が降った時に、田が壊れますから、1キロほどの上流に堰を設けて、そこから、川に沿って水路を設け、その水路から、必要に応じて、自分の田に水を引き込むことになります。
水量が少ないときには、上流で水を多く使いますと、下流の農家は水が足りません。そこで、水争いが起ります。日本の古文書には、水争いと、山の木を切る争いが多いです。争いが多いということは、村人は、仲が悪いということになります。
小字は現在は無くなってしまいましたが、以前は随分大切であったと考えています。小字名を見ますと、その村の成り立ちが推理することが出来ます。

 随分以前に、同じ箕面市にある稲作をしておられる村の田の水源を調べたことがあります。
 日曜日の昼に、畑で農作業しておられる方に、「この辺りの小字はなんといいますか」とお聞きしたら、叱られました。85歳は過ぎておられたと思いますが、私はこの村に嫁いでから、日曜日も休んだことがありません。小字名など、どうでもいいことです。知りませんと。 どうでも、良い分けがありません。その畑の真ん中に、小字の境界線があったからです。
 それ以上お聞きしないで、その辺りの田を歩き回りました。田への水路が違うことを発見しました。隣りどうしの田ですが、一つは、どんどん山の上に登って行きました。その水は冷たかったです。もう一つの水は、横を流れる大きな川からの水でした。但し、川に沿って、相当上流から引き込んであることが判りました。
 どちらの水の方が、お米が沢山取れるのか知りません。どちらの水の方が、美味しいお米が出来るのか、知りません。その村では、この様に水路を違えることによって、水争いを避けてこられたのだと思います。
 80年の人生の間に、水の苦労をされたのだと思います。やはり、小字名など、口にしたくなかったのだと思いました。

 一方、ハニ族の棚田はと云いますと、日本の田と違って、水は流れていました。その水は、どこから来るのかと云えば、上の田から流れてきます。上の田はどこから流れてくるかと云いますと、その上の田からです。 どんどん上に上がっていきますと、山の頂上になるのですが、山から染み出てくる水を鍬一本を使って、溝を掘り、有る所にきますと、流れを二手に流れるように調整していました。大した量ではありませんが、水はチョロチョロと流れていました。流れるつれて、水量は増えていました。
 田から田への水の調節は、鍬一本で、畦を壊して、少し大きくしたり、畦を修理したりして調節をしていました。この作業をする人は、他の農作業はしないで、20000枚ある全てに水が、平等に行き渡るように、専門にする人が居られました。

 お分かりいただけたでしょうか。村人、全員が協力しませんと、ハニ族の棚田は成り立たないことになっています。

 従いまして、他の民族が、村人を皆殺しにして村を奪っても、この棚田で、米を作ることは出来ないことになります。

 この調子で書いていますと、切がありません。しかし、私が始めに書きました村の水争いのことを知らないと、どれほど、田に水が必要であることは理解出来ないと思います。

 もうお分かりと思いますが、【天空の棚田に生きる】のビデオは、見て頂きませんと、理解出来ないことになります。

見て頂きますと、判る様で分らないことがあります。すべての田には、稲苅の時以外は、田に水が満たされています。麓の村であれば、山全体に降った雨は、谷の部分に集まって、川となったり、泉となって、水は湧き出しますから、その水を利用すればいいことになります。しかし、ハニ族の村は、棚田の一番上にあります。その位置から、頂上までは、それ程も高さはありません。潅漑用の池はあったと思いますが、番組では放映されませんでした。
 次回は、この水のことを記します。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。