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歴史各論 三角縁神獣鏡(119)魏志倭人伝(70) 邪馬壹国は、何所に(66)邪馬壹国(25) [三角縁神獣鏡]

このシリーズは、邪馬壹国のことを書くつもりで、始めたのですが、邪馬壹国の女王が、卑弥呼という人だったことが、魏志倭人伝に書いてあったために、日本の歴史はムチャクチャになりました。卑弥呼は死んだのは、248年頃されています。
 この頃には、崇神天皇が日本を統治していたのに、それでは、卑弥呼とダブるために、崇神天皇は、300年以降の人だとされています。
 日本書紀に書いてあることから、計算しますと、そのようになるのでしょう。そうしますと、崇神天皇は168歳ぐらいで亡くなられたことになります。
 10代遡りますと、初代神武天皇になりますが、9代の天皇の歳を合計しますと、660年になるそうです。そうしますと、神武天皇は、紀元前660年ぐらいの人と云うことになり縄文時代の天皇となります。
 これは困りますので、2代から9代までの天皇は、古事記が、ねつ造したこととなり、
実際には居られなくて、崇神天皇が、初代の天皇と云うことになっています。

 人に拠りますと、神武天皇から崇神天皇までは、実在の人だという方もおられます。そうしますと、発掘された遺物などと整合性が合わなくなってきます。
 258年頃に亡くなられた崇神天皇(108歳)は、紀元後、330年頃亡くなられたとしませんと、古墳時代の話が合いません。
 最近は、古墳だけではなくて、遺跡もどんどん発掘されますと、一層、日本史は、ムチャクチャになりつつあります。

 他の所で、書きましたが、一般に云われている1代より10代の天皇のうち、高齢の天皇の年令から、60歳をひきますと、略、正しいと思われる歴史に近づきます。
 168歳と云われた崇神天皇は、60歳をひきますと、108歳になります。それでも、まだ、高齢です。現在でも、100歳の方は少ないですから、3世紀のころは、高齢の人はいなかったというのが、一般の常識です。

古代は、医学すらありませんでしたから、高齢どころか、平均年齢は、28.3歳と断定と断定しておられる文章がありました。
祭りと祈り~その1 http://blogs.yahoo.co.jp/kbqbh446/29128117.html

 WEBで検索して、書いてあることを読めば読むほどに、私が主張しようとしていることは、劣勢であることが分ります。
 次回は、違うことを考えておられる例を紹介します。

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