SSブログ

東の高天原(7) 各国の神社誌 歴史各論 [高天原]

田村誠一氏が、どのようにして、「東の高天原」があると思われたか、田村氏の著書を見ながら、推察してきました。
 著書を全部読みますと、分かるかと云えば判りません。

膨大な日本の歴史に触れることによって、ご自分なりの日本の歴史が、見えるように思われたのだと思います。
 しかし、残念ながら、誰一人として、認める人はおられなかったように思います。
 
 もう少し、続けますと、膨大な日本の歴史には、どの様に触れられたかを私なりに分類しますと、
①古事記を一生懸命に読む。
②古事記に登場する地名は、すべて、地図上にあることを確かめた。
③その地名のある所は、すべて、車で行かれたようです。
④行ったところには、必ず、神社が有りました。
⑤各県の神社誌を読み始める。そして、全体を検討する。
⑥歴史書を読み始める。

 以上のことを同時進行で行うことによって、次々と、誰もが云わなかったことを、発見、手当り次第に頭を突っ込んでから、4年経過したころから、冊子に書き始めることになります。
 現在でも、誰一人として、認められませんが、書かれたことは、「新しい日本の歴史」です。

 ①古事記に書いてあったことは、正しかった。(天皇家のお家事情が書かれたもの)
 ②日本書紀に書いてあったことも、正しかった が、藤原氏が、日本を征服した時の記念誌である。
③邪馬台国の所在地解明---岡山県の西大寺の辺り。 日本に侵略した魏の国の人が考えていた国。 
魏志倭人伝の謎解き Ⅲ
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2012/06/post-d834.html

④三角縁神獣鏡が教えてくれること----当初は魏の国が、日本に派遣した人の身分証明書のようなものであった。この身分証明書は、日本と中国の間で絹の収集、輸送、販売の権利を持つために必要なものであった。
⑤墳墓から出土した鏡---出土したところには、中国人が住んでいた。
⑥銅鐸は、イザナギ、イザナミの一族が大切にしていたものである。
⑦式内社は、藤原氏が、構築した軍事施設であり、世界に輸出された絹の集積所であった。
⑧以上のことは、古代の事だけではなく、現代の経済・文化に影響を残している。

タイトルの「各国の神社誌」は、消えてしまいました。
しかし、神社誌の分析無くして、東の高天原の存在を証明するものは、無いと思います。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。