東の高天原(9) 西の高天原(2) 歴史各論 [高天原]
日本人、日本民族、大和民族と云う言葉あります。日本民族をキーワードにしてGoogle:で検索しますと
①大和民族 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%B0%91%E6%97%8F
②日本民族の紀元 http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/syakai/ikutumono0102.htm
が見えます。
①に書いてあることは間違っているなと思いました。次に②を見ました。
次のように書いてあります。
国立総合研究大学院大学の宝来博士はミトコンドリアDNAを用いて、日本人のルーツを研究した。宝来博士の結論は次のようだ。
「縄文時代に日本列島を担った『縄文人』には、アイヌの人々の祖先と沖縄の人々の祖先、少なくとも2つの集団があった。また、アイヌと沖縄の人々の祖先集団とは別の、おそらく日本列島中部に暮らす別の縄文人集団を想定することができ、それぞれの集団どうしで交流があった」。すなわち「縄文人は多様な集団から構成されていた」(P86)。
さらにミトコンドリアDNAの分析で、東アジアの集団に大きく5つの遺伝集団が区別できる。「本州の日本人」「アイヌ人」「沖縄の人」「韓国人」「中国人」である。宝来博士はこの5つの遺伝集団が、実際の「国」の集団の中でどのような比率で存在しているかを調べた。その結果は、かなり衝撃的だ。
本州の日本人集団では、「日本人固有のDNAタイプ」をもつ割合は、わずか4.8%にすぎない。一方「韓国人タイプ」と「中国人タイプ」をあわせた割合は約50%に達した。「アイヌ人タイプ」と「沖縄の人タイプ」をたした割合は約25%になる。 ・・・・
上記の「日本人固有のDNAタイプ」の意味が解りませんが、日本国土に、石器時代、縄文時代に住んでいた人の子孫は、
①日本人固有のDNAタイプ
②アイヌ人タイプ
③沖縄の人タイプ
の人になるでしょうか。
宝来博士の言葉を借りますと、①②③の合計は、29.8%になります。
宝来博士は述べる。「本州の日本人集団が、遺伝的にあまり特徴がなく、むしろ大陸中国や韓国の人々の持つ特徴が非常に多く含まれること、つまり多様な大陸系の集団から成り立つことが判明し、決して遺伝的に均一な集団ではないことが改めて確認されたわけです」(P88)。
宝来博士の研究が、すべて正しいかと云いますと、そうでも無い様に思います。何故かと云いますと、宝来氏は、まだ研究が途中だと思います。ここに書いてある所以外から、来た人のことは、少数民であるとして、「日本人固有のDNAタイプ」とされた可能性はあります。私は、稲作は、朝鮮半島からも入ったかも知れませんが、大部分は、雲南省の方から入ったと考えています。そうしますと、日本海側に見られる
又、アイヌ人タイプ、沖縄の人タイプという分類も荒っぽいと思います。
始めに紹介しました、「大和民族 」ウィキペディア の方に書いてある〔起源〕の内容は、普通に考えても、荒っぽいものとなっています。
「現在ではアイヌは大和民族との混血が進み、純血のアイヌはほぼ存在しない」
と書いてありますが、混血が進んだ証拠はありません。
普通に考えれば、判りますが、現在の日本では、どんどん混血が進むでしょうか。確かに、両親が、外国人と日本人というケースは、増えたでしょうが、では1000年も経ちますと、現在の日本人は、いなくなって、日本民族はいなくなるでしょうか。
大和民族と呼ばれる人は、大和朝廷が存在した時に、大和を中心に居た人達の集団になります。
大和朝廷がいつできたか知ることは 難しいですが、奈良盆地にいっぱい大きな古墳が出来た頃としますと、その時は、殆どの住民は、中国人であったと考えています。
この様に、異質の民族が、ひしめき合っていた日本では、こうした異質の人のうち、幾人かの人は、結婚をすることによって、血液は混じることになりました。
しかし、大まかに分類すると、中国系の人と、其の他に分かれたのではないかという歴史を組み立てています。
その他の人の政治拠点は、①高天原(その後、高千穂) ②西の高天原 ③東の高天原 ではなかったかと想像しています。
一方の中国人は、当時、中国を支配していた中国の人が、日本にやって来ていましたから、多くの民族が、中国からやって来た人と云わなければ正確でないと思われます。
荒っぽく云いますと、現在の日本人の80%は、中国大陸からやって来た人だと思います。
如何でしたか、
①高天原(その後、高千穂) ②西の高天原 ③東の高天原 を違った角度から、眺めて見ました。
①大和民族 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%B0%91%E6%97%8F
②日本民族の紀元 http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/syakai/ikutumono0102.htm
が見えます。
①に書いてあることは間違っているなと思いました。次に②を見ました。
次のように書いてあります。
国立総合研究大学院大学の宝来博士はミトコンドリアDNAを用いて、日本人のルーツを研究した。宝来博士の結論は次のようだ。
「縄文時代に日本列島を担った『縄文人』には、アイヌの人々の祖先と沖縄の人々の祖先、少なくとも2つの集団があった。また、アイヌと沖縄の人々の祖先集団とは別の、おそらく日本列島中部に暮らす別の縄文人集団を想定することができ、それぞれの集団どうしで交流があった」。すなわち「縄文人は多様な集団から構成されていた」(P86)。
さらにミトコンドリアDNAの分析で、東アジアの集団に大きく5つの遺伝集団が区別できる。「本州の日本人」「アイヌ人」「沖縄の人」「韓国人」「中国人」である。宝来博士はこの5つの遺伝集団が、実際の「国」の集団の中でどのような比率で存在しているかを調べた。その結果は、かなり衝撃的だ。
本州の日本人集団では、「日本人固有のDNAタイプ」をもつ割合は、わずか4.8%にすぎない。一方「韓国人タイプ」と「中国人タイプ」をあわせた割合は約50%に達した。「アイヌ人タイプ」と「沖縄の人タイプ」をたした割合は約25%になる。 ・・・・
上記の「日本人固有のDNAタイプ」の意味が解りませんが、日本国土に、石器時代、縄文時代に住んでいた人の子孫は、
①日本人固有のDNAタイプ
②アイヌ人タイプ
③沖縄の人タイプ
の人になるでしょうか。
宝来博士の言葉を借りますと、①②③の合計は、29.8%になります。
宝来博士は述べる。「本州の日本人集団が、遺伝的にあまり特徴がなく、むしろ大陸中国や韓国の人々の持つ特徴が非常に多く含まれること、つまり多様な大陸系の集団から成り立つことが判明し、決して遺伝的に均一な集団ではないことが改めて確認されたわけです」(P88)。
宝来博士の研究が、すべて正しいかと云いますと、そうでも無い様に思います。何故かと云いますと、宝来氏は、まだ研究が途中だと思います。ここに書いてある所以外から、来た人のことは、少数民であるとして、「日本人固有のDNAタイプ」とされた可能性はあります。私は、稲作は、朝鮮半島からも入ったかも知れませんが、大部分は、雲南省の方から入ったと考えています。そうしますと、日本海側に見られる
又、アイヌ人タイプ、沖縄の人タイプという分類も荒っぽいと思います。
始めに紹介しました、「大和民族 」ウィキペディア の方に書いてある〔起源〕の内容は、普通に考えても、荒っぽいものとなっています。
「現在ではアイヌは大和民族との混血が進み、純血のアイヌはほぼ存在しない」
と書いてありますが、混血が進んだ証拠はありません。
普通に考えれば、判りますが、現在の日本では、どんどん混血が進むでしょうか。確かに、両親が、外国人と日本人というケースは、増えたでしょうが、では1000年も経ちますと、現在の日本人は、いなくなって、日本民族はいなくなるでしょうか。
大和民族と呼ばれる人は、大和朝廷が存在した時に、大和を中心に居た人達の集団になります。
大和朝廷がいつできたか知ることは 難しいですが、奈良盆地にいっぱい大きな古墳が出来た頃としますと、その時は、殆どの住民は、中国人であったと考えています。
この様に、異質の民族が、ひしめき合っていた日本では、こうした異質の人のうち、幾人かの人は、結婚をすることによって、血液は混じることになりました。
しかし、大まかに分類すると、中国系の人と、其の他に分かれたのではないかという歴史を組み立てています。
その他の人の政治拠点は、①高天原(その後、高千穂) ②西の高天原 ③東の高天原 ではなかったかと想像しています。
一方の中国人は、当時、中国を支配していた中国の人が、日本にやって来ていましたから、多くの民族が、中国からやって来た人と云わなければ正確でないと思われます。
荒っぽく云いますと、現在の日本人の80%は、中国大陸からやって来た人だと思います。
如何でしたか、
①高天原(その後、高千穂) ②西の高天原 ③東の高天原 を違った角度から、眺めて見ました。
2012-07-09 04:08
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