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東の高天原(11) 西の高天原(4)磐田原台地(2)  歴史各論 [高天原]

くどいようですが、磐田原台地のことをもう一度、書いて見ます。
どうしてかと云いますと、次の所に、凄いことが書いてあります。

磐田文化財だより 第29号
 http://www.city.iwata.shizuoka.jp/midokoro/bunkazai/tayori/0708.php
<磐田市は、静岡県内でも古墳が集中している地域で、900基以上確認されています。この中には全長100mを超える大型古墳も見られます。企画展では前方後円墳を中心とした古墳から磐田が遠江の中心であったようすを紹介します。>

 どの様に思われましたか。 ご自分の町はどれぐらいの古墳が有りますか。私の町ですと、10基も無いと思います。
これほど、少ないとこれ又、何故少ないか、調べる必要があります。

 『日本の古代遺跡』1 静岡 保育社 
昭和57年11月1日 発行 (1982年) このシリーズを10冊ほど、持っています。ふつうは、これほど古い本ですと、役立ちませんが、私には、大いに役に立ちます。
 この本の141ページから144ページまで、磐田原台地の説明と地図が掲載されていますので、ご覧ください。

 地元の方でないと書くことが出来ない文章です。

第三章 磐田台地と太田川水系 1 古代遠江をリードした人びと

 東名高速道路や国道一号線から東方をのぞむと、高い浸食崖を持った台地が、天竜川にそって延々とのびるのを見ることができる。磐田原台地である。南北11キロ、東西約四キロ、ゆるやかに南へ傾斜するこの台地は、静岡県東部の愛鷹山麓や箱根山麓と比肩される旧石器遺跡の宝庫である。現在、台地の北東部から西部一帯にかけて約50か所の旧石器時代の遺跡が確認されている。またそれと同じ地域を生活領域として、縄文遺跡もいとなまれるようで、ほぼ同じ分布を示している。しかし縄文時代中期以降になると、台地中央をきりひらく今之浦川が平野部へと流れでる、現在の磐田市の市街地の中心部からやや東方の低地に、貝塚をともなった遺跡群が、西貝塚を中心として形成され、生活基盤や生産様式の多様化をうかがわせる。なお縄文時代には、太田川や原野谷川、倉真川など、太田川水系上流域の丘陵部に、やや散漫ながら遺跡の分布が認められる。

 この調子で、144ページまで、磐田台地の様子が書いてあります。
磐田市の東は、袋井市、掛川市です。磐田市は狭い所をご覧ください。 30年前の資料で、磐田市に900基の古墳があったという事ですが、現在でしたら、どれだけに増えているのでしょう。

磐田市地図.jpg
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